【浜通り13物語】第1部・始まりの男/人や縁をつなぐ会社に

 
富岡町で2013年11月に行われた荒廃家屋の調査。吉田氏は被災地と家族の元を往復しながら起業の目標を追っていた

 拠点のいわきと家族いる横浜往復

 「設計と建築で復興に関わる仕事をしたい」。2012(平成24)年12月に東京電力の関連会社を退職した大熊町出身の吉田学は、双葉郡での家屋調査の仕事に向かうための拠点としたいわき市と、家族がいる横浜市を往復する生活を始めた。起業に備え、1級建築士の資格取得も目標に据えた。

 週3、4日は県内で働き、残りは横浜市で過ごした。妻が会社に勤務していたため、横浜では「主夫」として子どもたちの面倒を見た。その合間を縫うようにして資格を取るための勉強を重ねた。吉田は当時を「毎日が必死だった」と振り返る。

 政府はこの頃、東電福島第1原発事故で避難指示を出した地域を巡り、放射線量などに応じて三つの区域に再編した。5年が経過しても年間の被ばく線量が20ミリシーベルトを下回らない恐れがある「帰還困難区域」、年間20ミリシーベルトを超える恐れがある「居住制限区域」、年間20ミリシーベルト以下になることが確実な「避難指示解除準備区域」だ。避難指示解除準備区域となった市町村などでは、住民の帰還に向けた社会基盤の回復が急がれていた。

 吉田は家屋調査で双葉郡を巡る中、除染で出た廃棄物を詰め込んだフレコンバッグを各地で目にした。避難により誰もいなくなってしまった地域にも立ち入った。放射性物質が付着しないよう防護服を着て作業した。自ら望んだ被災地での仕事を着実にこなしながら同時に「これからどうなっていくのだろう」と、漠然とした不安も感じていたという。

 もがくような日々を続ける中で1級建築士の資格を取得し、いよいよ会社設立の準備が整ってきた。社名は既に決めていた。顧客に「ありがとう」と感謝される仕事をするには、人と人とのつながりや結び付きが欠かせない。設計や建築を通じて人や縁をつなぐ会社にしたい―。この思いを込め、英語で「つなぐ」などを意味する「タイズ」から「タイズスタイル」とした。

 東日本大震災と原発事故から3年となるのを前にした14年1月、会社を設立した。事務所を構えたのは、いわき市のJRいわき駅前の複合商業施設「ラトブ」裏手にあった商業ビルの一室。家賃などから選んだが、かつてスナックとして使われていた部屋だった。内部には哀愁漂うカウンターやテーブルが残されていた。

 華々しい起業ではなかったが、吉田には覚悟があった。「とにかく前に進むしかない」。確かな一歩を踏み出そうとしていた。(文中敬称略)