【浜通り13物語】第10部・「変わらぬ仲間」/コロナ禍からの再始動

 
相双地方を盛り上げるサーティーンの北支部の(左から)松本氏、岩崎氏、朝田氏、斎藤氏、森川氏、板倉氏

 北支部のメンバー一丸

 本県の海岸線の延長は、新地町からいわき市まで南北164キロに及ぶ。浜通りの広域連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の会員は、さまざまな会合で集まるようになったが、移動距離が課題となった。このため浪江町から北を「北支部」として機動的に活動できるようにした。

 浪江以北でのメンバー結集でキーマンの一人になったのが、浪江町の総合冠婚葬祭業「如水」代表の朝田英謙(ひでのり)(47)だった。朝田と、後にサーティーン代表となる大熊町出身の吉田学は震災前から面識があった。吉田から「既存の団体としがらみのない、広域連携団体をつくろうと思う」と協力を求められた。

 「古里は昔のように戻っていない。自分にできることなら力になりたい」と趣旨に賛同した朝田は、自らも加入するとともに地元の仲間を勧誘した。それがあぶくま信用金庫浪江支店長の森川永一(47)と、南相馬市原町区で換気や給排水工事の「TIテクノ」を営む板倉孝之(47)だった。板倉は「13市町村でつながって集まったメンバーは、地域を良くしたいという思いが一緒。知恵を出し合い、できることから始めるのが大事だ」と語る。

 北支部のメンバーは、主に南相馬市の中央図書館の会議室を借りて、地域づくりのアイデアなどを熱く議論した。震災から12年を経た今、彼らに集まってもらった。森川は「復興といっても震災前のようになるのは難しいかもしれない。できることを確実にこなして、皆さんが帰ることのできる環境をつくれれば一番良い」と前を見据えた。

 南相馬市小高区など複数の接骨院を営む斎藤重宗(51)は、震災時の浪江青年会議所(JC)の理事長でサーティーンの発起人の一人になった。「北支部は、飯舘村などで青少年向けのキャンプを開催するつもりだった。準備を進め『いつやろうか』となったときに新型コロナウイルスの感染拡大が始まってしまった」と振り返る。現在は感染状況も落ち着いてきた。「みんなが集まるイベントの開催に向けて、リスタートしたいね」と笑顔を見せた。

 「リスタートですか、いいですね」。新地町出身の「ミライクリエイツ」取締役の岩崎稔(42)がさっそく反応した。復興支援の音楽イベント「ロックコープス」など数多くの企画を手がけてきた腕が鳴るようだ。相馬市でイベント企画会社「クロコカンパニー」を運営する松本光基(24)は、先輩に囲まれながら「顔が見える関係だからこそ、肩を組んでやっていけるのだと思います。浜通り全体で一緒にできたら」と語る。浜通りの北から、地域を盛り上げていく。(文中敬称略)