【浜通り13物語】第10部・「変わらぬ仲間」/大熊の若手結び付く

 
(写真上)大熊の新たなまちづくりに意欲を燃やす(左から)梨本氏、杉本氏(写真下)(左から)鈴木氏、斉藤氏、後藤氏=2班に分けて大熊町大川原で撮影

 大熊町は、東京電力福島第1原発の立地町として発展してきた。2011(平成23)年3月の原発事故では、距離の近さや放射線量により長期の住民避難を余儀なくされた。地元の事業者は双葉郡内やいわき市に拠点を移し、家業の再生に汗を流した。地域との密接な関係を築く前に避難した若手らはそれぞれに行動していたが、一つに結び付いていった。

 きっかけは商工会青年部の再始動だった。託されたのは青年部役員で、いわき市で事業を再建したアイシーエレクトロニクスの岩本哲児。岩本は、幼なじみの吉田学と連携して若手の確保に乗り出した。杉本建材の杉本誠(41)は震災後、2人に会った。先輩である彼らの考え方や人的な磁力に触れ「何かすごいな。この人たちに付いていけば間違いない」と直感、商工会青年部に入部した。

 ただ、それだけで終わらなかった。岩本は杉本の将来を思い「誠、常識を覚えるためにJC(青年会議所)に入ったほうがいい」と勧めた。杉本はJCに入り、人脈を広げて企画づくりのノウハウなどを学んだ。時期は異なるが、塗装を中心とした建設業アクティブの後藤勝(41)、斉藤瓦工業所の斉藤一哉(41)、都重機土木の梨本智(36)も岩本や吉田と出会って、青年部とJCに入る道をたどった。

 岩本と吉田が、浜通り広域の連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の結成に動き出した時、彼らが合流したのは自然の流れだった。その中で大熊の若手の心境に変化が生じた。後藤は「仕事が忙しい中でも、どこかで地域のために動きたいと考えていた。先輩たちからエネルギーをもらった」と振り返る。斉藤は「はじめは大熊に強い思い入れはなかったが、さまざまな人に触れて感じるものがあった。今は震災前よりすごい町にしたいと思う」と語る。

 杉本は浜通り連携の考え方に共鳴して汗を流し、若手の代表でサーティーン副代表に就任した。原発事故当時に20代前半だった梨本は「大げさに言うと地域は一度、ゼロになってしまったかもしれない。だけどサーティーンで、そこから新しく立ち直っていく状況をつくれるんじゃないかな」と思いを巡らせる。

 地元の若手の成長を見守っているのが、岩本や吉田らの二つ先輩で、サーティーン最古参の一人である建設業SAT代表の鈴木州治(49)だ。鈴木は「自分たちには建設関係の仲間が多い。みんなで造った建物が大熊にあふれ、住む人に喜ばれながら、来た人にも『この建物はすごいな』と言われるようなことをサーティーンでできればいい」と夢を描く。大熊の地域づくりは、途切れることなく継承されていく。(文中敬称略)