【浜通り13物語】第2部・伊達屋の帰還/改装工事、仲間が集結

 
仲間たちの手によって再開に向けた整備が進められた伊達屋のガソリンスタンド

 町村の枠超えて つながり、ありがたさ実感

 双葉町出身の吉田知成(ともなり)は2016(平成28)年、実家の「伊達屋」を継ぎ、東京電力福島第1原発事故後に休止していた国道6号沿いのガソリンスタンドを再開させることを決意する。旧友で大熊町出身の吉田学の熱心な説得が、一度は古里への帰還を断念していた知成の心を動かした。

 しかし、知成には双葉町でのスタンド経営の経験はなかった。「今の自分では何もできない」。原発事故前に父の俊秀を支えていた義理の兄の協力が不可欠だった。相談すると、「やるなら手伝う」と応じてくれた。俊秀に家業を継ぐことを告げると、「俺はもう、やるつもりはない。若い者でやるなら会社の名義を全部変えろ」と言われた。知成が社長、義理の兄が常務となる伊達屋の新体制が発足した。

 スタンド再開に向けて動き出した知成は、次なる課題に直面した。双葉町は原則として住民が帰ることのできない帰還困難区域になっていた。

 業者から必要な資材を調達しようとしても、「双葉には行けません」という答えが相次いだ。それでも電話をかけ続けると、二つ返事で「喜んで行きますよ」と言ってくれた会社に複数行き着いた。全て福島県内の企業だった。

 改装に入る時、工事の元請けを担ってくれたのは、学が起業した設計・建設会社の「タイズスタイル」だった。学は、建設に関わる仕事に就いていた同級生や後輩を引き連れて駆け付けた。水道、塗装、解体、内装。さまざまな業種が集まった。彼らは知成にとっても、気心の知れた懐かしい面々だった。

 敷地内の施設の一つをどうしても壊さざるを得なくなった。「トモさん、気合入れて壊しますんで」。後輩が力強く宣言した。「余計な物まで壊すなよ」と返すと、しばらくして「すみません、やっちゃいました」と後輩が謝ってきた。「だから言っただろ、しょうがないな」。知成はそう言いながら、地元のつながりのありがたさを実感した。

 浜通りの中心部にある双葉郡は8町村で構成されているが、住民はその枠を超えて地縁、血縁で結び付いている。知成と学は双葉高の同級生だが、互いの存在は野球の大会などを通じて中学時代から知っていた。スタンドの改装に集結した同世代のメンバーも浪江や大熊、富岡など複数の町村にまたがっていた。改装工事は、仲間の手によって1年がかりで完了した。

 働くスタッフの確保などの課題はあったが、知成が運営する「双葉伊達屋SS(サービスステーション)」は、17年6月のオープンが決まった。原発事故から6年の歳月が流れていた。(文中敬称略)