【浜通り13物語】第2部・伊達屋の帰還/支えた県全体の復興

 
営業再開を前に整備が完了したスタンドで笑顔を見せる吉田知成氏(左)。右は父の俊秀氏=2017年6月

 スタンドの再開 ゲート閉門時間との闘い

 双葉町出身の吉田知成は実家の「伊達屋」を継ぎ、2017(平成29)年6月に東京電力福島第1原発事故により休止していた国道6号沿いのガソリンスタンドを再開した。ただ町は住民がしばらく帰ることのできない帰還困難区域になっており、スタンドの営業は広域的な復興事業に関わる業務として認められたものだった。

 町を南北に貫く主要道路の国道6号は自由に通行できたが、そこからつながる道路には不審者の侵入を防ぐためのバリケードやゲートが設けられていた。スタンドの主な業務は、双葉町周辺で行われている除染や解体工事などの現場に車を出して燃料を届けることだった。ゲートを通れる時間がスタンドの営業時間を縛ることになる。

 当時のゲートの閉門時間は午後4時。これでは工事を終えた業者が、それぞれの拠点に帰る前に給油することができない。「何とかなりませんか」。知成が政府の出先機関などにかけ合ったことで、17年11月ごろにはスタンドの営業時間が午後5時30分まで延長された。それでもゲートの閉門間際になると、スタンドは大忙しとなった。

 スタッフが通勤で使う車はスタンドの裏手に駐車していたため閉門前に出しておかないと帰れなくなる。車を移動したかったが、現場から帰る業者が次々と給油に訪れた。時には燃料を配達して戻ってきた車の目前でゲートが閉まってしまい、遠回りして別のゲートを通らざるを得ないこともあった。

 双葉町と大熊町にまたがる土地には、県内の除染作業で出た廃棄物を保管する中間貯蔵施設の整備が進められていた。敷地の造成や廃棄物のかさを減らすための施設の建設など、多様な工事が行われた。事業が増えれば増えるほど、業務はフル回転していった。伊達屋の帰還は、浜通りだけではなく県全体の復興を支えていた。

 知成はいわき市に生活の拠点を設け、双葉のスタンドに通っていた。家族のいる東京都との二地域居住となる中でも、スタンド再開を決意させてくれた大熊町出身で双葉高の同級生、吉田学らとの交流を深めていった。何かあれば集まり、酒を酌み交わした。

 その頃、学は知成ら同級生、後輩らと顔を合わせるたびに言っていた言葉があった。「浜通りは人が少なくなった。これからは自治体の枠を超えた連携が必要なんじゃないか。俺たちで何かできることはないだろうか」。この考えが、震災後の浜通りで奮闘してきた地元の若者の心をつかみ、連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の発足につながっていく。(文中敬称略)=おわり

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 この連載は菅野篤司が担当しました。