【浜通り13物語】第3部・2人の相談役/絶対に古里を取り戻す

 
塙町で炊き出しを手伝い、避難者に焼きそばを手渡す八島氏。これが震災後に「浪江焼麺太国」が活動を再開させるきっかけとなった=2011年3月

 炊き出しからの再起 B―1参加で誓い

 浪江町商工会青年部によるまちおこし団体「浪江焼麺太国(やきそばたいこく)」で太王(だいおう)を務めていた八島貞之は2011(平成23)年3月、東京電力福島第1原発事故に伴い塙町に避難していた。地元の塙町商工会が避難者向けに行う炊き出しに協力したいと申し出た八島は「焼きそばを作ってほしい」と頼まれた。

 「太王だけど、実は焼いたことないんですよ」と正直に答えると、商工会の会員は「俺たちが作るから、詰めてみんなに渡してください」と言った。八島は「なみえ焼そば」のPR活動で、すでに知られる存在だった。自らも避難しながら避難所で焼きそばを配る八島の姿はメディアで報じられた。

 当時、浪江町は役場機能を二本松市の東和地区に置いており、町民もその周辺に避難していた。しばらくすると、町長の馬場有が八島のもとを訪れ、「報道を見て、町民から『なみえ焼そば』をもう一度食べたいという声が上がっている。4月に東和でイベントがあるから、青年部で提供できないか」と言ってきた。

 特徴であるうまみのある濃厚ソースは、11年の「B―1グランプリ」用として県外の企業に依頼しており、二本松市まで送ってくれるめどがついた。欠かせない太い麺も、中通りの製麺所で確保できる見通しとなった。八島が全国に散り散りになっていた青年部員に協力を呼びかけると、十数人が集まった。焼きそばを振る舞うと、町民は懐かしの味にほっとしたような表情を見せた。

 八島は仲間と話し、町民の避難先を炊き出しで回ることを決意する。同時に11月に兵庫県姫路市で開かれるB―1グランプリへの参加を決めた。「避難の現状や町民に寄せられた支援への感謝をB―1で伝えたい」。その思いが彼らを突き動かした。

 大会は、来場者の投票で順位が決まり、上位3団体は閉会式のステージ上でマイクアピールできるルールだった。「浪江焼麺太国」は惜しくも4位。この時、八島が動いた。式の最中、事務局に「仲間をステージに上げていいですか」と頼み、許可を得た。全国から集まったまちおこし団体の前で、浪江町民への支援に対する感謝を伝えようと考えたのだ。

 お礼の言葉を述べるうちに、避難を余儀なくされた悔しさ、焼きそばを振る舞った時の町民の笑顔などが頭をよぎった。八島は思わず声を張り上げていた。

 「小さな町だけど、まちおこしができると夢見ていました。絶対に古里を取り戻します」。「浪江、浪江」。会場から沸き上がった応援のコールは、しばらくやまなかった。八島は感激の涙を流しながら、自らの言葉を守ることを固く心に誓った。(文中敬称略)