【浜通り13物語】第4部・俺たちはできる/「地域差」越え復興議論

 
2015年7月に策定された被災12市町村の将来像をまとめた政府の有識者会議の提言には、自治体ごとの復興の進度の違いが触れられている

 避難解除、異なる課題

 「富岡に大学をつくったら人が集まるんじゃないか」「ひとり親世帯の移住を優遇する制度を推進したらどうだろうか」。富岡町出身で宮建工業の宮本政範は、2016(平成28)年ごろから始まった双葉高の卒業同期3人との集まりで、東日本大震災からの復興のアイデアを熱く語っていた。同じくらいの熱量で応じていたのは、大熊町出身で震災後いわき市に設計・建設会社タイズスタイルを起業した吉田学だった。

 あと2人のメンバーは、広野町出身で震災後に測量会社・イーツーコンサルタントを創業した遠藤剛と、実家が運営していたガソリンスタンドの再開を目指していた双葉町出身で伊達屋の吉田知成だった。当初の雰囲気について、宮本は「俺と学はとにかく夢を語っていた。とてもできないようなことまで。それに対して、剛と知成の2人は『あいつら、何言ってるのか』という感じがあったな」と振り返る。

 知成は「それはそうだ。復興についての思いは一緒だったが、現実の復興の進度は自治体ごとにまるで違っていた」と指摘する。震災から5年が経過する中で、当時の双葉郡8町村の間に差が出ていた。遠藤が住んでいた広野町のように、東京電力福島第1原発事故後の放射線量が比較的低かった自治体では、避難指示などが解除され、住民の帰還が始まっていた。

 一方、知成の古里の双葉町は、大半がしばらく帰ることのできない帰還困難区域となっていた。全く地域の将来性が見えない段階で、何ができるのかすら語ることは難しかった。大熊町も同様だったが、学は早い段階から復興事業に身を置いていたため、危機感を宮本と共有していた。宮本の古里の富岡町は、避難指示解除に向けたインフラ復旧や除染が進められている状況だった。

 自治体間の復興状況の違いは、政府が主催する会議などでも課題になっていた。被災自治体が集まって協議しても、避難指示解除の有無や沿岸部か内陸部かの違いにより、それぞれの課題が全く異なっていたのだ。原発事故に伴う賠償の格差も相まって、地域間の「分断」と言える現状は、互いに意見交換することもなかなか厳しいという環境を生み出していた。それは親族間、家族間にも及んでいたと言っても過言ではない。

 だが、彼ら4人は復興について語り合うことをやめなかった。遠藤は「いろいろな違いは確かにあったんだけど、俺たちは色あせない青春っていうやつを一緒に過ごしたから、何でも言い合うことができた」と明かした。彼らは高校時代、どのような関係だったのか。時間を少し戻してみよう。(文中敬称略)