【浜通り13物語】第5部・地域のバトン/被災パトカーを保全

 
藤田氏の尽力で、双葉署北側の公園に移された津波で被災したパトカー=2015年3月

 有志と行政動かす

 東日本大震災による津波が襲来した富岡町仏浜地区の河川敷で、1台のパトカーが発見された。震災当時、住民の避難誘導に当たった2人の警察官が乗っていた車両だ。1人は変わり果てた姿で見つかったが、もう1人の警察官は行方不明のままだった。

 やがてパトカーの周りに花が手向けられ、行方不明の警察官にメッセージを送るポストも設置された。富岡の現状を伝える活動をしていた「鳥藤本店」の藤田大は、被災地以外の人を案内する際には必ず立ち寄り、パトカーが残されている理由を語った。全国から応援に駆け付けた警察官も、この場を訪れ、思いを受け継ごうと手を合わせた。

 藤田はしばらくして、パトカーのある一帯が除染廃棄物の仮置き場となり、車両が処分される予定になっていることを聞いた。「被災したパトカーは津波の力の強さ、そして大事なものを放置せざるを得なかった原子力災害の教訓を伝えるものだ。絶対に取っておかなければならない」と決意する。それは、命懸けで住民を守った2人の行動に報いることにもつながっているとも考えた。

 藤田は同じような思いを持つ有志をまとめ上げ、2014(平成26)年6月に、町と県警にパトカーの保全を求めた。後世に残す意義を語りながら「何とかならないですか」と働きかける藤田の訴えは、いったんは廃棄が決まっていた状況を変えていく。町と県警が協議し、パトカーを保存するための処理を施した上で、双葉署の北側にある公園内に移設することが決まった。15年3月の移設完了セレモニーに、藤田は「町民代表」として出席した。

 行方不明となっている警察官の家族から、藤田の元に電話があった。「これで手を合わせる場所ができました。ありがとうございます」。藤田は「思い入れがあったので、残すことができて本当に良かった」と振り返る。

 藤田が保存に尽力したパトカーは現在、町が整備した「とみおかアーカイブ・ミュージアム」に展示され、来場者に震災の記憶と教訓を伝えている。解説のパネルには、「町民有志」がパトカーを守ったことがしっかりと記されている。

 藤田が多くの人を富岡町内に案内して震災や原子力災害の実情を伝える姿や、被災パトカーの保存に尽力した経緯などは、メディアを通じて広く報じられた。「すごい人がいるな」。後に浜通り広域の連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の代表となる吉田学は、藤田の奮闘に尊敬の念を抱いていた。(文中敬称略)