【浜通り13物語】第5部・地域のバトン/次世代へつなぐバトン

 
HAMADOORI13が結成された当時のメンバーら

 理念支えるキーワード

 東京電力福島第1原発事故後、住民の避難を経て浜通りは大きく変化した。富岡町出身の藤田大は、家業である「鳥藤本店」の事業再生や被災の実情を伝える活動に取り組む中で考えてきたことがあった。「地域には人から人へ受け継がれてきた見えないバトンがあったのではないか」

 伝統芸能や祭り、地域での団体活動など、バトンの種類はさまざまだ。その一つ一つが先輩から後輩、大人から子どもへと受け渡されてきた。それが2011(平成23)年3月11日で、一度ストップしてしまった。あるバトンは、そこに関わる人たちの努力によって原発事故後も何とかつながれてきた。一方で、人が散り散りになったことで避難元にそのまま置き去りとなったバトンもある。

 原発事故後に奮闘する中で、藤田の手にも何本かのバトンが知らず知らずに手渡されていた。ある時期から藤田は「自分で持てるだけの地域のバトンを持って運んでいき、着いた先でポンと置こう。そして『あとは次世代の人頑張って』というのが、自分の役目なんだろうな」と思うようになった。

 18年ごろ、藤田は地元富岡町の小学生からインタビューを受けた。子どもたちが、地域で働く大人から仕事について聞くという内容だった。「子どもに下手なことは言えない。一言一言に責任がある」と緊張して臨んだ。すると児童は「僕たちは富岡の役に立ちたいんです」と藤田に言った。「こういう子どもたちがいるから、富岡はつながっていくんだ」。バトンの担い手が育っていることを感じた藤田は号泣した。

 浜通りの若手が連携する「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の設立に汗をかいたのも、各地域のバトンをつなぐ役割を果たすことができるのではないかと期待してのことだった。藤田がメンバーの意見を集約する中で、団体の理念を支えるキーワードが生まれた。

 「浜通り愛」「持続可能な経済の創出」「発信・発進」。最後の一つは「次世代へバトンをつなぐ」だった。藤田は「本当は理念そのものにバトンの言葉を入れたかったが、それでは俺の考えになる。ここに、ちゃっかり入れさせてもらったんだ」と振り返る。

 藤田の思いも取り入れながらHAMADOORI13は約30人のメンバーで設立したが、知る人も少ない存在だった。次の関心は「団体をどうやって世に出して、さらなる仲間を集めていくか」に移った。
 彼らがパートナーに選んだのは、メンバーそれぞれの震災後の歩みを表すような「止まらない、倒れない」を目標に掲げたサッカーチームであった。(文中敬称略)=おわり

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 この連載は菅野篤司が担当しました。