【浜通り13物語】第6部・「浜の光」/いち早く再起へ動く

 
震災後の社業再生やさまざまな人との出会いについて語る岩本氏

 いわきと双葉の結節点に

 「福島はいったいどうなっているんだ」。大熊町出身で半導体製造会社・アイシーエレクトロニクス専務の岩本哲児は、出張先の東京都で東日本大震災に遭った。大熊の会社に電話すると、たまたまつながった。社長の父に「大丈夫か」と聞くと「駄目だ」という答えだけが返ってきて、そのまま音信不通となった。

 何とか車を確保して古里に戻ると、すでに東京電力福島第1原発事故による全町避難が始まっていた。岩本の会社の作る製品は、半導体製造の流れの中で川上に位置していた。東北は被災しているが、他の地域はそうではない。受注していた部品が届かなければ日本のサプライチェーン(供給網)は止まる。高い技術と長年の信用で獲得していた仕事の全てを、断腸の思いで同業他社に譲った。

 最低限の機材を持ち出し、いわき市でゼロからの再起を図ることにしたが、岩本自身も双葉高の同級生の実家などを転々とする状況だった。2011年5月に、いわき市好間の工業団地に拠点を定めると、従業員と一丸となって仕事に汗を流した。設備を整えて品質を高め、一歩一歩実績を積み上げていった。

 岩本は、浪江青年会議所(JC)で活動していたことから、いわき市の若手経営者とは「JC仲間」だった。社業の再生に励む傍ら、彼らとの交流を再開した。

 ちょうどその頃は、原発事故により全国さまざまな場所に避難していた双葉郡の住民が、古里に近いいわき市に居を移す時期と重なっていた。

 「帰ってきたのか。じゃあ一杯やるか」。岩本は同世代や後輩に声をかけ、集まる機会をつくった。いち早く経営者として活動していたため、震災後に新たな道を歩む同級生に助言することもあった。大熊出身で幼稚園からの旧友である吉田学が、復興に従事しようと東電の関連会社を辞めた際は「個人事業主よりも起業して社長になった方がいい」と背を押した。

 「仲間は何かあったら助けてくれる。時にはそれが一方通行になってもいい。堅苦しくなく集まり、それが仕事につながればいいよね」。洒脱(しゃだつ)な人柄で細かい気配りが自然にできる岩本の周りには、人が集まった。「お互いが知らなくても、俺が知っていれば仲間だ」。やがて、岩本はいわきの若手経営者と、いわきに住む双葉郡の同級生や後輩を引き合わせる結節点のような存在になる。

 社業を父から引き継ぐ頃には、人脈はより広く、深くなっていた。後に浜通りの若手有志らは広域連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」を設立することになるが、その基盤となる人と人のつながりをつくったのが岩本だった。(文中敬称略)