【浜通り13物語】第6部・「浜の光」/いわきFC、地元に浸透

 
監督時代の岩本氏との出会いなどについて語る田村氏

 理念共感、スポンサー集まる

 いわき市で半導体を製造するアイシーエレクトロニクスを再建した大熊町出身の岩本哲児は、いわき市の若手経営者と市内に避難する双葉郡の同級生らを結び付けるような存在になっていた。岩本の子どもも市内の学校に通い、特に「田村さん」の子どもと仲良くなった。父親同士で顔を合わせた時に岩本が「仕事は何ですか」と聞くと、「サッカーの監督です」と返ってきた。いわきFC第2代監督、田村雄三であった。

 田村は群馬県出身で、中央大を経て2005(平成17)年に湘南ベルマーレに入団した。闘志あふれる中盤の選手として活躍し、引退後は選手育成に手腕を発揮した。16年にいわきFCが本格始動すると、強化・スカウト本部長に就任。17年からは県社会人リーグ1部に昇格したチームの監督を務め、縁が少なかったいわきで奮闘していた。

 田村は子どもの学校行事に行く際には「自分は子どもの同級生の保護者よりも少し若い。浮かないようにスーツを着よう」と心がけていた。岩本は、田村のその立ち居振る舞いに注目していた。一方の田村も岩本について「何か雰囲気が違う人がいるな」と感じていた。サッカーの真剣勝負の中で培われた田村の直感は、間違っていなかった。

 岩本は、親しくなるにつれて田村の実直な人柄を知り「いわきFCはまだよく分からないが、雄三という人間は応援したい」と考えるようになった。「仲間の誕生会やってるから、プレゼント持ってサプライズで来てよ。代金は割り勘にするから」など田村を会合に誘った。田村もそれに応え、田村といわきFCの存在は岩本の人脈の中で認知されていった。

 当時、始動間もなかったいわきFCは地域で支えてくれる小口のスポンサーを集めていた。それを知った岩本は自社をスポンサー登録した上で、田村とチームの営業担当に「俺の仲間のところに行ってみなよ。ちゃんと言っておくから」と伝えた。岩本は、ただの「パパ友」ではなかった。

 岩本の仲間は震災後の地域を何とかしたいという思いが強かった。サッカーの力で「復興から成長へ」という目標を掲げるいわきFCの理念は彼らに受け入れられ、岩本の同級生らの企業がスポンサーに次々と加わった。田村は「何とかチームを知ってもらいたいと思っている中で、哲児さんには本当に助けてもらった」と振り返る。

 その後、田村率いるいわきFCは18年に東北社会人2部、19年には同1部、全国地域チャンピオンズリーグを破竹の勢いで制し、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を果たす。その頃、岩本と同級生らは、浜通りの広域連携組織の設立に向け動き出していた。(文中敬称略)