【浜通り13物語】第7部・「結実」/窮状救ってくれた消費者

 
物流が途絶えたいわき市で食料の配布に詰めかけた住民ら。元木氏が避難所で配ったトマトは大いに喜ばれた=2011年3月

 「おいしかった」訪れ購入

 2011(平成23)年3月の東日本大震災は農業施設と物流網に大きな被害を与えた。農業法人とまとランドいわき(いわき市)ではハウスが損傷したほか、出荷できないトマトを廃棄した。その窮状を知った人からインターネット通販の申し込みが相次ぎ、専務の元木寛はひとまず胸をなで下ろした。

 しかし次なる課題が立ちはだかった。東京電力福島第1原発事故による風評被害だ。元木はハウスを修復して新たにトマトの苗を植え、販売を始めたが、安全性が担保されているにもかかわらず、震災前に1個60円で取引されていたトマトに10円の値しか付かなかった。ただ、新たな動きもあった。ハウスに程近い倉庫に設けた直売コーナーを訪れる人が増えた。

 元木は震災直後、出荷できずに余ったトマトを避難所で配り歩いていた。「あの時食べたトマトが本当においしかった」と避難生活を終えた市民らが足を運んで購入しに来てくれたのだった。彼らは風評による市場の安値ではなく、元木が付けた値段で納得して買ってくれた。元木は「本当にうれしかった」と当時を振り返る。ネット通販に加え、直売の売り上げが収益の柱になっていった。

 元木はネット通販が増えていく中、販路がなくなって困っている農家仲間に「一緒に売らないか」と声をかけた。「それはありがたい」と彼らが出品してきた農産物も、風評など関係なく売れていった。ここで元木はひらめく。「福島の農家は原発事故で打撃を受けた。みんなで協力していかなければ駄目だ。地域の農家がそれぞれの産品を持ち寄り、自分たちが付けた値段で消費者に買ってもらえるような場をつくることはできないだろうか」

 元木はモデルとなる場所がないか探し始めた。当時は直売所がブームで、近畿や九州などで多くの人を集めるスポットができ始めていた。現地を視察したが、自分の思い描くような事例は見つけられなかった。「だったら新しくつくるしかない」。理想とする直売所の構想づくりを始めることにした。同時に場所の選定も始めた。

 当初、元木は直売所をとまとランドいわきの近隣につくろうと考えていた。だが周りは農地で、そのような施設を建設することができない状況だった。市内で土地を探していたところ、知人から「四倉の中島地区で農地の区画整理事業が始まる。その中で場所を確保できるかもしれない」とアドバイスを受けた。

 区画整理を担うのは地元の農家らでつくるほ場整備組合だった。元木は夢の実現のため、組合員の地権者約60人の説得に入る。(文中敬称略)