【浜通り13物語】第7部・「結実」/農業復興へ異色タッグ

 
元木氏との出会いや震災後の農業再生について語る白石氏

 「伝統農家」の白石意気投合

 白石長利は、いわき市小川町で江戸時代より前から続く農家に生まれた。幼い頃から家を継ぐことを自然に感じており、磐城農高に進学した。2年の時には県内の農業高生の中から選ばれ1カ月間、米国アイオワ州の農家で「ファームステイ」した。何事も大規模な米国農業を肌で感じ、日本の農業を見つめ直すきっかけになった。

 3年の春、大学進学を考えていた時、父親が病で倒れた。「もう進学している場合ではない」と、高校を卒業して家業を継ぐことを考えたが、母から「あなたは外を見てきなさい」と助言された。興味があった自然農法を身に付けようと静岡県の農場で1年研修し、東京都の農業者大学校でさらに学びを深めた。卒業して地元に戻り、22歳で農家の8代目になった。

 2011(平成23)年3月の東日本大震災では、小川地区の農地に大きな被害はなかった。しかし東京電力福島第1原発事故で作物は出荷停止となった。収穫することができず、満開の花が咲いた冬野菜の畑の光景を白石は今も覚えている。「種をまかなければ収穫できない」。原発事故の風評が懸念されたが、白石は次の作物の準備を進めた。

 その頃、いわき市は震災後の農業を立て直すため、行政と生産者が一体となって農産物の魅力や安全性などを情報発信するプロジェクトを始めようとしていた。白石の元に連絡が入る。「白石さんと、とまとランドいわきの元木寛さんを生産者のツートップにしたい」。若い世代で積極的に活動していた2人に、農業再建の一歩が託されようとしていた。

 白石は会合などで元木の顔は知っていたが、じっくり話したことはなかった。「人と人とのつながりをつくりたかったら、まず俺と元木さんが分かり合わないと駄目だろう」。思い立った白石の行動は早く、まだ震災の爪痕が残る元木のトマトハウスに飛んでいった。

 理工系の職場を経て大規模ハウスを経営する企業農家の元木と、先祖代々の耕地を守り続けてきた伝統農家の白石。歩んできた道は異なるが、農業や地域の将来を語り合い、2人は意気投合した。白石は「得意なところ、苦手なところをフォローし合うことができれば絶対強いなと感じた」と振り返る。6歳年長の元木を「兄貴分」として、2人は農業復興の分野で行動を共にするようになった。

 やがて元木は、白石に地域の農業者が産品を持ち寄って販売する直売所、新鮮な食材を楽しんでもらう食堂を中心とした複合施設「ワンダーファーム」の構想を打ち明ける。「ゼロからイチを生み出すのが農家の醍醐味(だいごみ)」と考える白石は「面白いですね。やりましょう」と快諾した。(文中敬称略)