【浜通り13物語】第8部・「共鳴」/被災地の振興「自分も」

 
学生時代の取り組みや相馬市での起業などについて語る松本氏

 小6で被災の松本さん、相馬で起業

 南相馬市出身の松本光基は武蔵野大4年だった2020年10月、イベント企画会社の「クロコカンパニー」を起業した。活動の場に高校時代を過ごした相馬市を選び、さっそく地元へのあいさつ回りを始めた。若いながら落ち着いた雰囲気の松本に、先輩の経営者が「君、不安とかないの」と尋ねた。松本は「あまりないです」と答えた。それは松本の歩みを振り返れば、当然とも言えた。

 小学6年の時に東日本大震災を経験した。進学した南相馬市の中学校は東京電力福島第1原発から30キロ圏内にあり、多くの人が復興の現状を視察しに来た。松本は彼らを案内する語り部として活動を始めた。「人に伝えるためには、地域のことを学ばなければ」。やがて地域の課題も見えてきて、次は「何とか変えてみたいな」と思うようになった。

 相馬高に進むと、仲間や大学生らと連携し、地域の魅力を発信したり、震災の教訓を知ってもらうツアーなどのイベントを開催するようになった。大学に入るとますます行動力に磨きがかかり、東京で三陸の魅力を伝える祭りを開催する学生団体に入った。

 広告代理店が関与していない団体だったので、機材の手配から設営、アーティストのキャスティング、当日の運営など全てを手がけた。支援してくれたコンサルティング会社社員からの適切な助言もあり、着実にノウハウを身に付け、起業した頃にはすでに即戦力となっていた。

 相馬で最初に請け負ったのが、商店街イベントの事務局の仕事だった。その際、当時の相馬青年会議所(JC)の理事長と知り合ってJCに入会。人脈が広がって多くの案件が依頼されるようになり、事業は軌道に乗っていった。その頃、高校時代から世話になっていた、新地町出身のミライクリエイツ取締役の岩崎稔から声をかけられた。

 「行けなくなった会合があるから、勉強がてら自分の代わりに行ってくれないか」。南相馬市の会議室のドアを開けると、それが浜通り広域の連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の集まりだった。「浪江焼麺太国(やきそばたいこく)」で太王(だいおう)を務めていた八島貞之らが、熱く地域振興などについて語っていた。

 松本は各地のイベントに携わり、関係者が熱量を持って話し合い、地域おこしが進んでいく瞬間に何度も立ち会っていた。さらに八島らは、広域連携の枠組みをトップダウンではなくボトムアップでつくり上げようとしていた。「こんな取り組みほかにはない。自分もやってみたい」と感じた。「一緒にやろうよ」。その一言で、松本には十分だった。浜通りサーティーンに、20代前半のメンバーが誕生した。(文中敬称略)