【浜通り13物語】第8部・「共鳴」/ぶれない浜通りへの思い

 
震災後のあぶくま信金の取り組みなどについて語る森川氏

 信金勤務の森川さん、最前線で奔走

 浪江町出身の森川永一は小高商高を卒業後、主に相双地区を営業エリアとするあぶくま信用金庫に入庫した。初任地は浪江支店で、得意先などを自転車で回った。キャリアを積む中で南相馬市の小高支店に長く勤務し「小高の出身なのかい」と聞かれるほど、地域になじんだ。2011(平成23)年3月の東日本大震災も、小高支店で経験した。

 東京電力福島第1原発事故で小高支店は立ち入りできなくなり、南相馬市の本店営業部に向かった。部屋に入ると電話が鳴り響いていた。「福島県からの避難者の方が窓口に来て、あぶくま信金の口座にあるお金を下ろしたいと言っています」。全国の信用金庫からの問い合わせだった。原発事故でカードなどの貴重品を持ち出せないまま古里を離れた利用者が、避難先から助けを求めていた。

 あぶくま信金は、利用者の名前を聞いて預金残高が確認できた場合、避難先で身分を証明するものがなくても1日10万円の払い戻しを認める「代払い制度」を始めた。当時としては異例の対応だった。森川も何十件となく電話を取り継ぎ、「お支払いしてください。大丈夫です」と払い出しをお願いした。

 後に、この緊急的な払い出しを巡っては、一件の事故もなく処理されたことが分かる。森川は「長年のお付き合いで、お客さまに信頼してもらっていたからだと思います」と振り返る。職員が自らも被災する中、いわき市や二本松市、会津若松市、埼玉県加須市などの避難先に足を運び、利用者の事業継続と生活再建を支えたことも背景にあったのかもしれない。

 森川は13年3月、日中だけの業務が認められた小高支店に復帰し、南相馬市小高区の避難指示解除を迎える。17年に古里の浪江支店に異動となり、18年には浪江支店長として復興の最前線に立った。

 しばらくして、取引先から「浜通り全体で連携する団体ができる話がある。一緒に行ってみないか」と誘われた。広域連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の設立に向けた会合だった。大熊町出身の吉田学をはじめとする中核メンバーは、取引先の経営者として見知った存在だった。よく聞けば、彼らは卒業した学校は違うが森川の同学年だった。

 「自分と同じ世代が立ち上がるのか」。森川は地元の金融機関に勤務する一員として、苦しい時も浜通りから離れることなく奮闘してきた日々を思い起こした。「復興に向けて連携し、地元が盛り上がるのなら何よりだ。手伝えることがあるかもしれない」。復興の仲間の一人としてサーティーンに加入した。(文中敬称略)