【浜通り13物語】第8部・「共鳴」/払拭の企画立案、招いた縁

 
原発事故後に企画した風評対策などについて語る橘氏

 調査会社の橘さん、風評に策

 「時間がない。できることから対応しないと」。2011(平成23)年3月、いわき市出身で調査会社「福島インフォメーションリサーチ&マネジメント」社長の橘あすかは、東日本大震災の余震が収まらない中、仕事に没頭していた。いわき市から、東京電力福島第1原発事故による風評を払拭する企画の立案を依頼されていたのだ。

 福島高専を卒業後、建設コンサルタント会社勤務を経て、行政や民間の施策の基盤となるような社会調査を行う会社を起業した。中でも、農業や観光に関連した分野を多く手がけた。調査結果に基づく情報発信やイベントの企画、運営の仕事も入るようになり、ノウハウも積み重なっていた。その実績を買われ、橘に白羽の矢が立った。

 期限は短く、4月12、13の両日に東京・新橋で行うイベントに間に合うようにすることが求められた。「がんばっぺいわき」という、農産物の放射性物質の検査結果を掲載するサイトの開設はうまくいった。同時並行的に、農産物の魅力を伝える動画を作る必要があった。「生産者に焦点を絞って紹介すれば伝わりやすい。時間がないから、熱い思いを持ち、企画案の1を聞いて10を理解した上で一緒に走り抜けてくれる人を選ばないと」と考えた。

 頭に浮かんだのは知人で、いわき市の四倉地区でトマトの大規模なハウス栽培をしていた元木寛と、小川地区の伝統農家の8代目である白石長利だった。企画は通り、2人を撮影した動画は消費者の共感を呼び、新橋のイベントにも同行してくれるようになった。

 2人はいわきの農業復興に力を合わせる盟友となるが、その道筋を付けたのが橘であった。

 本番前日、さらなる試練が襲う。いわき市で最大級の余震が発生して大きな被害が出た。一部の野菜が届かなくなるなどの影響があったが、予定通りに開催することを決めた。イベント当日、多くの人が農産物を買い求め「応援しているよ」と口々に声をかけてくれた。橘は「本当にありがたかった」と思い起こす。この成功を契機に、いわき市は大規模広報事業「いわき農作物見える化プロジェクト」を展開することになる。

 橘はその後、元木の紹介などで浜通り広域の連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」の設立メンバーらと飲み友達になる。いわき青年会議所(JC)に所属していた橘は、彼らと地域を思う気持ちを共有し、復興を熱く語り合った。サーティーンは20年に発足するが「いつの間にか会員になっていた。でも違和感はなく、むしろガッチリ組んで面白いことができると思った」と振り返る。いわきでも、サーティーンの輪は広がっていった。(文中敬称略)