【浜通り13物語】第8部・「共鳴」/古里への思いに心打たれ

 
浪江町への居酒屋出店の経緯などについて語る笹原氏

 起業家の笹原さん、浪江復興に動く

 笹原広美は、いわき市の繁華街で複数の飲食店を運営する「LRアドバンス」の代表である。20歳の時にカウンター8席のスナックを起業してから、夜の憩いの場を提供してきた。2011(平成23)年3月の東日本大震災後も水道が復旧してすぐに店を開けた。当時の自粛ムードもあり、ひっそりと再開したが、常連に加えて復興事業のためいわき市に滞在していた人たちで初日からにぎわった。

 笹原は、地域貢献に関心があり、いわき青年会議所(JC)に所属していた。しばらくして、JCのつながりで同市に避難していた浪江JCのメンバーが店に集まるようになった。彼らは夜な夜な、古里の再生をどうするか語り合っていた。笹原は「住んでいた所を失っても頑張ろうとする姿に感動しながら、同じ時間を過ごしていました」と当時を振り返る。

 やがて、浪江町の帰還困難区域を除く地域の避難指示が解除される。笹原は浪江JCの一人から「復興には飲食店が必要になる。笹原さん詳しいから、一度浪江を見てくれないか」と誘われた。彼らと浪江を訪れると、JR浪江駅前のビルに案内され「ここは使えると思うんだけど、どう」と言われた。「あれ、話が進んでいるな」と感じた。

 その時、同席していたビルの高齢のオーナーが口を開いた。「引退してビルを閉めようと思ったけど、役場から町の再生のために使いたいと言われた。俺はこの年だけど、もう一肌脱ごうと思うんだよ」。笹原は衝撃を受けた。「若い私たちが目先のことだけ考えて一歩を踏み出さないのは、すごくかっこ悪いんじゃないか」。そのビルで居酒屋を開店することを決めた。

 準備を経て居酒屋は18年3月にオープンする。店名は、浪江の夜を照らすことを願い「ひかり家」と名付けた。当初、人口が少ない地での営業は厳しい場面もあった。それを知ったのであろう。浪江JCの会員が町内のホテルで作業員の朝夕の食事を提供する仕事を回してくれ、浪江での事業展開は安定していった。

 笹原は、ここで止まらなかった。「復興が進んでいる地域では、どんな店が開店していつ営業しているかの情報が足りないな」と感じ、相双地区をカバーする情報検索サイトを創設した。いわき市の飲食店を経営しながらの浪江での奮闘の中で、起業家としての手腕が磨かれていた。

 浜通りの広域連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」を設立しようとしていた若手経営者のグループが、笹原を放っておくはずがなかった。「仲間に入りませんか」の誘いに対し、何をするのかなど聞かなかった。「一緒に頑張りましょう」。即答だった。(文中敬称略)