【浜通り13物語】第9部・「継承」/訪問者と川内の「橋渡し」

 
準備中の古民家カフェで浜通りサーティーンとの関わりなどについて語る志賀氏

 目立つ若者流出に危機感

 川内村出身の志賀風夏は2017(平成29)年、草野心平記念館「天山文庫」の管理人として古里に戻ってきた。ただ、その帰還は思い描いていた人生設計よりも早いものだった。村は東京電力福島第1原発事故による避難指示が早期に解除されたものの、若者の流出が目立っていた。危機感を持った志賀は管理人の募集を契機に、福島大を中退して戻ったのだ。

 豊かな自然の中で、書庫の整理や訪れた人の案内などに取り組む日々だった。当時、村には交流サイト(SNS)で情報を発信する若手はいなかった。記念館の名義で普段見かけるカエルの様子などを発信すると、それを見るために村を訪れる若者も増えていった。「情報を発信すれば川内を好きになってくれる人はいる」と分かった。

 もう一つ、気付いたことがあった。復興支援などで訪れた人は任期が終わると帰ってしまい定着しないことだった。彼らから「村の人が協力してくれない」との声を聞いた。一方、村民からは「俺たちの気持ちも酌まないで新しい事とか言われてもな」と聞いた。志賀は川内生まれだが、陶芸家の父は移住者だった。双方の気持ちが分かる立場として「何とか橋渡しできないか」と思い悩んだ。

 やがて、父がいわき市から移築してきた江戸時代の古民家の傷みが目立ってきた。「これを直して何かできないか」と思案する中で、「誰もが集まれるカフェをつくったら話し合いの場になるのではないか」とひらめいた。しかし改修に向けて補助金を申し込んだ際、担当者から「誰のための事業なんですか」と聞かれ、「みんなのためです」と答えると「それはちょっと」と落とされてしまった。10年ぐらいかけ、少しずつ実現しようかと考えていた。

 その頃、被災地で活動する若手と、若手を支援する団体を結ぶウェブ会議が開かれた。志賀は遠慮なく、これまでの思いを語った。HAMADOORI13(浜通りサーティーン)代表の吉田学が、発言を求めた。「皆さんの思いを実現できるような制度をつくっているのでもう少し待って。動き出したら応募してください」。それが、若手起業家支援のフェニックスプロジェクトだった。

 応募すると、他の制度は書類審査などですぐ終わるのに、審査員は何度も聞き取りをしてくれた。「きちんと対応してくれるな」と感じた。22年1月に発表された第1期の支援には、志賀を含めた4件の事業が採択された。「10年かけてと思っていたのに、ドーンと自由度の高い3年間の支援が示され、急ぎ足になりました」と当時を振り返る。(文中敬称略)