【浜通り13物語】第9部・「継承」/空き店舗を村再生拠点に

 
飯舘村で取り組んできた地域づくり活動などについて語る矢野氏

 「次の飯舘の姿」を考えて

 東京都出身の矢野淳は、父がNPO法人を設立して飯舘村の復興に関わったのをきっかけに、高校生の頃から村を訪れるようになった。「建物はあるけど、人が全くいない風景が衝撃的だった」。絵を描くのが好きだった矢野は、地元の活動のポスター作りなどを手伝うようになり、村に知人が増えていった。

 東京芸大の建築科に進学すると、建築や芸術の観点から飯舘について考え始めた。その根底には、東京電力福島第1原発事故による避難から村に戻ってきた人から聞いた言葉があった。「以前は面倒と感じるような地域のつながりがあったが全部なくなってしまった。悔しいけど、どこかほっとしている」。矢野は「日本一の美しい村だったかもしれないけど元に戻すだけでいいのか。次の飯舘の姿は何だろうか」と考えた。

 卒業制作では、飯舘の大地そのものを舞台に、村民や復興に関わる人が連携して環境について学び、つくり上げるイメージを表現した「フィールドミュージアム」を完成させた。東京都内で開かれた卒業制作展示で受け付けをしていると、女性から声をかけられた。「あの飯舘の作品造ったのは誰ですか」「私ですけど」。飯舘で地域おこし協力隊をしていた福島市出身の松本奈々との出会いだった。

 2人は意気投合して、飯舘の村民と移住者、応援者らをつなぐ会合などを開くようになった。その参加者の中に、後に飯舘村長となる杉岡誠がいた。2020年の年末、村長になった杉岡から村役場に呼ばれた。「震災で閉店になった店舗がある。村で使いたい人がいるなら解体しないで譲ってくれるらしいけど、興味あるかい」。地域活動の拠点を探していた2人は「あります」と答えた。

 矢野は、卒業制作を思い出し、飯舘全体を舞台にした多様な地域再生活動の結節点として空き店舗を使えないかと考えた。「若手がこんな広い空間を自由に使える機会なんて都会では絶対にない」。21年、2人は共同代表として施設運営の受け皿となる「MARBLiNG(マーブリング)」を起業した。

 訪れる人に環境について学んでもらうツアーの実施や飯舘で活動する企業、研究機関の誘致、住民が集まる場としての活用。アイデアがあふれる中、「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」が若手の起業を支援するフェニックスプロジェクトを知った。

 「計画が次々動く中で、時間をかけて伴走してくれる内容はありがたい」と感じて応募すると、支援対象に選ばれた。一度は人の姿が消えた村の空き店舗が、将来の地域づくりに必要な工夫が次々と生み出されていく拠点「図図倉庫(ズットソーコ)」として生まれ変わることになった。(文中敬称略)