【浜通り13物語】第9部・「継承」/地方でも異文化体験を

 
米国留学から浜通りでの起業に至る経緯などについて語る野地氏

 新たな価値観求め米国留学

 福島市出身の野地雄太は福島高を卒業後、米ミネソタ大に進学した。中西部の北、カナダと接した地の大学には世界から留学生が集まり、多様な意見を交わしていた。「新しい価値観が身に付けられそうだ」。野地は英語力を徐々に高めながら、充実した日々を過ごした。国内の大学ではなく、進路を米国に選んだ原点は、高校2年生の時の体験にあった。

 中学3年の時に東日本大震災を経験し、建物が損傷したため高校の授業はプレハブで受けた。課外活動に熱心だった野地は、中国から福島を訪れた学生と交流する行事に参加した。彼らは滑らかに英語を話し、積極的にコミュニケーションを取っていた。野地は英語を口に出すのがやっとで「何でこんなに違うんだ」と感じた。自分を取り巻く環境を客観的に見る契機となった。

 その後、米国に留学している学生の話を聞く機会があった。野地は「物事を俯瞰(ふかん)的に見るためには一度外に出ることが必要ではないか。選択肢はいろいろあっていいはずだ」と考えるようになり、米国への進学を決める。ミネソタ大では社会学を学び、学生サークルに入り日本の文化を伝える活動などにも汗を流した。やがて「教育や地域づくりに貢献する仕事をしたい」と思うようになった。

 卒業を控え帰国を考えていた野地は、自らの能力を高めるためベンチャー企業経営者の右腕として実務を学ぶ2年間のプログラムに申し込んだ。野地の希望に沿ったのが、浜通りの広域連携組織「HAMADOORI13(浜通りサーティーン)」のメンバー、岩崎稔が取締役を務める相馬市の「ミライクリエイツ」だった。2021年4月、野地は米国から相馬市に拠点を移した。

 イベント企画などを経験する中で、岩崎から「挑戦してみたら」と、若手の起業を支援するサーティーンのフェニックスプロジェクトを紹介された。野地は考えた。かつての自分は固定観念を破り、幅広い視野を得ようとして海外に留学した。「日本の、しかも地方にいながら同じような体験はできないか」。中学、高校生が留学生とキャンプなどを通じて交流し、異文化を受け入れる感性と英語力を高める事業を提案したところ、支援対象に採択された。

 「仕事をするなら伸びしろがあり、喜ばれる地域にしたい」。野地が望んだ環境は浜通りにあった。フェニックスプロジェクトの特徴は、経営の先輩であるサーティーンの会員が若手を手厚くサポートする点だ。会員の業種はさまざまで幅広い悩みに対応している。「支えてもらっている安心感があるんです」。野地は夢の実現に走り出した。(文中敬称略)