【震災7年・時間を超えて】記者ルポ(2)笑顔と日常少しずつ、楢葉町

町に響く子どもや住民の声、電車の音、夜の住宅の窓からこぼれる明かり。記者が2013(平成25)年4月から2年間、取材を担当した楢葉町。今月1日、久しぶりに町内を歩くと、町は震災前とほぼ変わらないであろう、日常の姿を取り戻しつつあった。
いわき支社の記者として取材を担当していた当時、町はいわき市のいわき明星大敷地内などに役場機能を置いた。原発事故などで町民は全国各地に避難する中、どうすれば町が再生するか、行政だけではなく町民らが知恵を絞っていた。
町内を歩くと、連日、いわき市と町を往復した記憶がよみがえった。しかし担当を外れて3年。
町の光景は大きく変わっていた。再開した学校には子どもの姿があり、中心部には町再生の核となるコンパクトタウンが形成されようとしている。当時、記事として書いていた計画が、一つ一つ具現化されていた。
浜通りを南北に貫く国道6号沿いに足を向けた。14年7月に開設された仮設商店街「ここなら商店街」。久々に「武ちゃん食堂」ののれんをくぐった。「あらぁ、お久しぶりね」。佐藤美由紀さん(53)の明るく、はじける声が迎えてくれた。夫の茂樹さん(55)と震災前、JR竜田駅前に構えていた老舗食堂。
避難に伴い休業していたが、仮設商店街開設に合わせて営業を再開した。困った時に何度も取材させていただいた恩人でもある。
◆店で井戸端会議
「最初は作業員の方が多かったけど、今は地元の人も多い。小さな子どもを連れた親子も来るのよ。だから、店は町民の井戸端会議みたいになることもあるの」。美由紀さんがとびきりの笑顔で教えてくれた。注文したニラレバ定食に舌鼓を打ちながら、町の変化に頬が緩む。
15年9月の避難指示解除から2年半が経過し、町によると1月末現在、人口7140人のうち2270人が町内で生活を再開した。
「やっぱり子どもの姿を見たり、住民の方が歩いて買い物に訪れる様子はうれしいよ」。佐藤さん夫妻は今夏、震災前の店舗にほど近い場所に新たな店を開く。
◆離れて感じた愛着
楢葉町での取材を振り返ると、帰還するか否かを悩んでいた藤浪敬子さん(48)の顔が浮かび、いわき市で暮らす藤浪さんを訪ねた。
昨年、同市に新居を構え、現在は月に何度か楢葉町の家を訪れるという。町の自宅周辺で帰還した世帯はまだ少ないが、藤浪さんは「現在は埼玉で暮らす隣だった奥さんと連絡を取るんだよ。15、20年後は楢葉に戻り、また一緒に世間話をしようねって。離れて分かるけど、なんだか楢葉に愛着があるんだよね」としみじみと話してくれた。
町民一人一人の置かれた状況は異なる。戻った人、戻りたくても戻れない人、戻らないと決めた人―。一概に何人が帰還したという物差しでは復興、再生の度合いは測れない。たとえ町を離れていても、町民と町がいつもつながっていてほしいと心から願い、町を後にした。(影山琢也)
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