【震災7年・鎮魂の祈り】津波で失った妹弟 今も海に手を合わせ

 
海に向かって手を合わせ続ける清一さん(右)とアキ子さん=新地町大戸浜

 「娘の帰りを待っていたんだと思う。やるせない」

 新地町大戸浜の寺島清一さん(80)は、妹の清子さん=当時(69)=と弟の清二さん=同(64)=ら親族4人を東日本大震災による津波で失った。清子さん、清二さんの自宅は清一さん宅の近所で、よく清一さん宅に集まり、子どもの時と同じようにきょうだいで何げない時間を過ごした。壊された日常に、今もやりきれない思いが募る。

 清一さんは相馬市からの帰宅途中に震災に遭った。急いで自宅に戻り、妻アキ子さん(77)の手を引いて必死に高台を目指した。住み慣れた地域が津波にのまれる様子をぼうぜんと見つめるしかなかった。この時、妹と弟が命を落としていたなんて想像もしていなかった。

 後に聞いた話では、清子さんは地震発生直後、自宅にいたとみられる。同じく津波で亡くなった清子さんの娘が相馬市で働いていた。清子さんは娘を待っているうちに津波に巻き込まれたのではと、清一さんは考えている。

 清二さんは地震の後、一度は集会所に避難したが妻の姿が見当たらず自宅に戻って津波に遭ったという。「避難用の道路がしっかりしていれば」「津波の避難について周知されていれば」。あの日から7年を迎えようとする現在も、清一さんの思いは尽きない。

 「避難している時に清二が乗ったバイクを見た気がする。いまも夢を見ているようだ」

 清二さんの遺体は自宅近くで見つかったが、清子さんは今も見つかっていない。清一さんは毎日のように海に向かって手を合わせるようになった。その姿に心打たれ、地元の遺族や住民らが一緒に追悼するようになった。昨年6月には清一さんが代表となり、震災月命日に追悼行事を行う「勝手に東日本大震災の犠牲者を忘れない会」ができた。

 「いまさら元に戻らないことは分かっている。でもずっと忘れることはない」

 3月11日、清一さんたちは町の犠牲者の数にちなんで119本のろうそくを立て祈りをささげる。「一日も早く清子さんが見つかってほしい」「安らかに眠ってほしい」と。