【震災7年・鎮魂の祈り】俺にはもったいない妻 ずっとそばにいるからな

きのうも飲み過ぎちゃったよ。そんな怒った顔しないでくれよ。
いわき市平薄磯の山野辺清さん(65)は今でも、妻久子さん=当時(56)=にふと話し掛けることがある。津波で久子さんを失ってから間もなく7年。毎朝、仏壇に手を合わせながら、遺影写真の中から無言で見つめる最愛の妻と向き合う。
平の美容室で働いていた久子さんとは友人の紹介で知り合い、25歳で結婚した。飲み歩いて帰りが遅くなっても、久子さんは黙って許してくれた。結婚直後はお世辞にもおいしいとは言えない手料理だったが、美容室の客に教えてもらいながら、いつの間にか腕を上げた。褒めると大量に作り、同じものが続いてテーブルに並んだ。自宅で酒を飲み始めると、決まってサンマの煮付けがグラスの横に置かれた。
3人の子どもにも恵まれた。いずれも帝王切開で出産。久子さんは防波堤まで100メートルもない海沿いに建てた自宅兼美容室で働きながら、子どもを育てた。真面目で堅実、我慢強い妻。そして3人の男の子の母親だった。
「行ってらっしゃい」の一言だけだったな。なんで犠牲になるのが、うちの嫁なんだって今でも思う。
2011(平成23)年3月11日午前6時30分ごろ、仕事で家を出る清さんに久子さんが掛けてくれた声が今も耳の奥に響く。震災から10日後の21日、久子さんは自宅があった場所近くで見つかった。がれきの隙間から仕事着だった紫色のフリースが見えると、清さんと息子3人が駆け寄り、体中についた泥を払った。
帝王切開の傷痕で久子さんと確認できた。翌日には同じく行方不明だった同居していた母キヨエさん=当時(83)=と安置所で対面。妻と母のひつぎを久子さんの好きだったカサブランカでいっぱいに埋めて送り出した。花言葉は「雄大な愛」。
こんな俺にはもったいない人だった。もう少し素直になって「ありがとう」ってちゃんと言えば良かった。
妻の死後、清さんは平薄磯地区の災害公営住宅に1人で暮らす。弁当作りから洗濯、掃除、光熱費の支払いまで、家庭のことは全て妻任せだった。
5月から長男(38)夫婦が同地区の高台に建てた家で孫2人を加えた5人での新しい生活が始まる。
ずっとそばにいるからな。子どもと孫たちを守ってやってくれよ。
今年も久子さんが眠る墓にカサブランカを手向けるつもりだ。
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