【震災9年・ふくしまを創る】地元の人 救える医師に

 
常に謙虚な気持ちで、患者の思いに耳を傾ける草野さん

◆いわき市医療センター初期研修医 草野亮太さん(26) 

 「心肺停止の患者も来る。現場は切羽詰まった状態だが、さまざまな患者の対応を学べる」。いわき市医療センターの初期研修医草野亮太さん(26)は現在、救命救急センターで奮闘中だ。「地元の人たちの健康を守れる医者になりたい」。生まれ育った土地で経験を積みながら、将来は開業医を目指す。

 磐城高卒業後、福島医大に進学し昨年、念願の国家試験に合格して同市に戻ってきた。勤務から間もなく1年となる中、救命救急センターでは搬送されてきた患者の気道確保や点滴の準備などに当たっている。「古里の医療を支えたい」。復興が着実に進む古里で、理想の医師像を追い求めている。

◆震災後、薬配り歩いた父の背中追う

 祖父政雄さん(82)は元放射線技師、父昌典さん(56)は薬剤師、母ちづさん(54)は看護師という"医療一家"に生まれた。草野さんが高校1年だった2009(平成21)年、政雄さんが胃がんを発症。緊急手術で一命を取り留め一時はやせ細ったが、医療の力で今も健在だ。「おじいちゃん子で祖父のために何かしたかったが、当時は何もできなかった」。家庭環境とともに、祖父の大病が医師を志すきっかけになった。

 震災が発生した11年3月11日は、所属する弓道部の仲間と練習中だった。異様な地鳴りを感じると、間もなく大きな横揺れが道場を揺らし、天井や壁にはひびが入った。地震に加え、同市沿岸部は津波で甚大な被害を受けた。日常は一変。水道は止まり、原発事故による放射能への不安は募った。草野さんは「ただごとじゃなかった」と当時の状況をおぼろげに振り返る。

 そんな中、昌典さんは薬などの物資が不足していることを知り、当時受け持っていた糖尿病患者に薬を配布するため一軒一軒、患者の自宅などを回っていた。「困っている人をたくさん見てきた。地元の人たちを救える医師になって、医療に貢献したい」。父の背中を目に焼き付けながら、医療への思いを強くしていった。

 初期研修医として働く今、尊敬する先輩医師を見習い、常に謙虚さを持って患者と同じ目線で話を聞くことを大切にしている。「ささいなことでも聞き入れる。患者さんと信頼関係を築くことが、いい治療につながる」と草野さん。「地元に残り、皆さんの健康に携わりたい」。決意を胸に、きょうも患者、そして命と向き合う。

◆「少数県」脱却目指す

 本県では震災前から医師数が少なく、厳しい状況が続く。本年度内の策定を目指す県医師確保計画の素案には、2023年度までに446人の医師増員を目指すとし、福島医大と連携した医師の派遣や調整などの施策を盛り込んだ。

 厚生労働省の医師偏在指標で位置付けられた「医師少数県」からの脱却が目標だ。