【震災9年・ふくしまを創る】松川浦 ここが居場所

◆中沢水産 中沢由樹さん(26)
松川浦漁港に漁を終えた船が戻ると、それまで静かだった港が競りでにわかに活気づく。魚を見定める仲買人の中に、相馬市の中沢由樹さん(26)の姿があった。「震災で一度は諦めかけた居場所。ここで力を尽くしたい」。本県水産業の未来を担う若手の一人として奔走を続ける。
港は幼い頃から、当たり前にいた場所だった。家族が経営する水産物加工、販売の中沢水産を手伝いながら、いずれは働く場所になると信じていた。だが2011(平成23)年3月11日、中沢さんが高校2年の時、津波が港を襲った。
◆仲買人の技磨き自慢の魚出荷
沿岸部は壊滅的な被害を受けた。何より漁が行えなくなったことで、仕事が成り立たなくなった。「他の道を選んだ方がいい」。両親の言葉で突き刺さる現実。戸惑いながらも専門学校に進み、自動車関係の会社に就職した。
仕事に不満があったわけではない。ただ、心にはぽっかりと穴があいたままだった。長期休暇で地元に戻ると、昔と変わらず声を掛けてくれる仲間たち。仕事を再開していた家業は人を求めていた。「やはりここで働きたい」。17年6月、自らが望む場所に戻った。
現在は社長の父正英さん(55)の下で、4代目を目指して仕事に励む。船が戻る度に魚を仕入れ、加工して新鮮なまま県内外に届ける。慌ただしく競りが行われる港では、見知った顔と気軽に声を掛け合う。「これが当たり前の風景。だからこそ戻りたかった」
現場では風評も肌で感じた。東京の市場では県産というだけで、他の港の魚より低い値が付くこともある。魚を仕入れてもらえないスーパーもまだ、残っている。「海洋放出されれば今までの努力がゼロになる可能性がある」。トリチウムを含む処理水の処分方法が決まっていないことも、水産関係者を不安にさせている。
「どこよりも安全が証明されている」。厳しい基準の放射性物質検査で保証される海産物に自信を持っている。今は血抜きなどの技術を磨き、他港で水揚げされない魚を持ち込むなどして差別化を図る。狙い通りに高値が付くことが、何にも代え難い喜びだ。
先月26日には第1子の長女美結ちゃんが生まれ、今まで以上に仕事に熱が入る。試験操業での水揚げや魚種も以前より増えた。「いずれは海外にも魚を届けたい。何より相馬の魚はおいしいから」。本県産で創られる笑顔を夢見て、福島の魚を発信し続ける。
◆魚介類全て出荷可能
本県沖の試験操業は2012(平成24)年に開始。19年の水揚げ量は3584トン(速報値)で、震災前の1割強にとどまっている。
今年2月には出荷制限となっていた43魚種、44品目全ての出荷が可能となった。県漁連では20年度中に本格操業を目指す考えを示している。
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