【震災9年・ふくしまを創る】災害に強い古里・相馬へ 

 
大学で沿岸環境を学ぶ菊地さん。知識や技術を古里の復興に役立てたいと強く願っている

◆日大工学部4年 菊地啓佑さん(22) 

 街が壊されてしまった―。

 13歳のころ、変わり果てた古里を見て感じた悔しさがずっと胸にあった。今春から地元の相馬市役所で、土木の技術職として働く菊地啓佑さん(22)=日大工学部4年=は、あの日の思いを糧にして今、自分の力を古里に役立てたいと、強く願っている。

 通っていた中村一中の卒業式が行われた2011(平成23)年3月11日。当時1年生だった菊地さんは、早めに学校から帰って友達の家にいる時、東日本大震災に遭った。突き上げるような揺れに、床をはって表に出ると、道路が割れたり、家の窓が外れて倒れたりと見たこともない光景が広がっていた。

 それから1週間ほどたって同市原釜にある祖父母の家を見に行くと、家は流されていて、慣れ親しんだ景色が跡形もなくなっていた。祖父母は震災前に他界していたため既に空き家になっていたが、幼いころからの思い出が詰まった場所だ。一面がれきだらけで、よく遊びに行った海も土砂で茶色く濁っていた。

 「こんなに変わっちゃうんだ」。悔しくてたまらなかった。同時に、強く思った。「街を取り戻したい」

◆土木知識生かす行政マンになる

 それから今まで、その思いを忘れたことはない。相馬高では理数科に進み、土木工学の道を志した。大学では、沿岸環境について研究。視野が広がるにつれ「県外や海外に出て大きな仕事をしたい」という気持ちも生まれ、進路を考える中で葛藤もあった。でも、そのたびに、あの日の光景を思い出した。「やっぱり地元に住んで、地域のために働きたい」。思いが募っていった。

 そんな折、東日本台風が発生し、大学や周辺地域の一帯が浸水被害に遭った。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故、台風による大水害と、多くの災害を目の当たりにする中で、「いざ災害が起こった時に、地域の人から頼ってもらえるような仕事をしたい」という決意が固まった。

 震災から9年がたつ今、震災を経験したからこそ選んだ道で、積み重ねてきた知識や技術を古里のために生かせることに、奮い立っている。「『災害に強いまち』をつくるには、インフラなどのハードだけでなく、ハザードマップや避難計画、住民の意識付けなどあらゆる面で対応していかなければならない。住民とコミュニケーションを密にして、地域の人たちのために働ける行政マンになりたい」

技術職員確保に苦慮
 
 県内の市町村は、土木や農業土木、保健師など専門的な知識を持った技術職員の確保に苦慮している。こうした状況を受け、県は、双葉郡や浜通りの市町村を中心に、職員を派遣したり就職セミナーを開くなどして、復興のために必要な職員の確保を支援している。