【川内】昨年1月に「帰村宣言」、徐々に戻る村民

 
川内

多くの村民の帰村を願い、村内の防犯活動に取り組む遠藤さん

 川内村は昨年1月31日に「帰村宣言」した。今年4月1日現在、人口の46%に当たる1299人(週4日以上の村内滞在者)が帰村している。

 仮設、借り上げ住宅を返却し、村に戻った「完全帰村者」は役場機能を村内に戻し、避難区域を再編した昨年4月に342人だったが、今年4月1日現在で505人に増え、徐々に村民の帰村が進みつつある。一方、旧警戒区域の160世帯、353人は現在も村内の仮設住宅や村外での避難生活を余儀なくされている。

 同村では、多くの村民の生活圏が、隣接する富岡町や大熊町などにもあった。周辺自治体の帰還が進んでいない中、村内の除染とともに生活再建のための整備が求められる。村は企業誘致などによる雇用の場の確保をはじめ、商業施設や介護施設の整備などを計画し、新たな村づくりに取り組んでいる。

 「前向きにやっていく」 遠藤さん 

 「前向きにやっていくしかない」。避難先の田村市から今春、帰村した川内村の農業遠藤豊治さん(70)は自分にそう言い聞かせる。原発事故前から取り組んでいた防犯活動を生かし、現在は「川内村見守りパトロール隊」の隊長として、村内の防犯に取り組む。

 村には妻と2人で戻ったが、事故前は妻と長男家族との6人家族だった。震災の数年前に6人で暮らせる新居を建てたばかりで、「孫が高校生になったら、『運転手』として高校へ送り迎えするのが夢だった」と笑う。長男家族は県外へと避難し、楽しみを奪われた。それでも、「まだ放射線量が高い所があり、子どもへの影響が一番の心配。会えないのは、さみしいが仕方がない」と話す。村の大部分を占める森林の除染が進んでいないことも、子どもへの健康被害の懸念を増長させる。

 今年から村で再開したコメの作付けも遠藤さんが帰村を決意した理由の一つだ。コメの全袋検査が行われるが、放射線への不安は消えない。「放射線が検出されなくても、国民は『汚染されたコメ』と見ているのではないか」。帰村を選んだ意思は固いが、いまだ多くの葛藤を抱えている。