東京電力の姿勢、指針「上限」 支払い拒むケースも相次ぐ

 

 東京電力は、原子力損害賠償紛争審査会が最低限の基準として決めた原発事故の賠償指針を「上限」と捉え、指針を盾に賠償金の支払いを拒むケースが相次ぐ。審査会の能見善久会長は「個別では(賠償指針を)超える場合もある。東電には誠実な対応を求めたい」と述べ、東電の賠償姿勢にくぎを刺す。

 審査会は県や市町村などの度重なる要望を受け、昨年12月にまとめた新しい賠償指針で「合理的で柔軟な対応と同時に被害者の心情にも配慮した誠実な対応が求められる」との一文も明記した。ただ、現時点で東電の姿勢は変化していない。

 山林の財物賠償など指針に明記されながら基準策定に時間を要し、賠償金の支払いが遅れていることも被害者の東電に対する不信感につながっている。県は「東電の賠償姿勢への批判は依然として多い。今後も申し入れなどを続けていく」としている。

 旧緊急時避難準備区域、「打ち切り」に残る不満 

 事故を起こした東京電力福島第1原発から20〜30キロ圏に設定された緊急時避難準備区域は、2011(平成23)年9月に区域指定が解除された。解除に伴い、精神的損害に対する賠償は1年後の12年8月末で打ち切られたが、避難を継続する住民も多く、打ち切りへの不満は根強く残る。

 田村市都路地区の場合、同区域の住民約2400人のうち、自宅に戻っているのは1月末現在で31.6%の760人程度にとどまる。放射線の不安や避難生活が長引き、住民それぞれの避難先で生活基盤を築いていることなどが帰還が進まない要因となっている。

 避難生活が続いていることを踏まえ、一部の住民は賠償の継続を求める民事訴訟の提起も検討している。市内の仮設住宅に避難する宗像勝男さん(69)は「大変な状況は変わっていない。賠償を求めていきたい」と話す。

 複雑な思い「自主避難者も被害者」 

 小学3年生の長女と茨城県に自主避難している女性(37)は「避難生活が長くなり、家計もかなり厳しくなっている」と話し、東京電力による賠償範囲の拡大や、国の支援を求める。

 原発事故前は家族一緒に福島市で暮らしていたが、放射線への不安から2011(平成23)年7月、自主避難した。夫は仕事のため残り二重生活となった。現在は、家計の足しにと茨城でパートの仕事を見つけて平日は働いている。

 週末には、高速道を利用して同市と茨城を行き来する生活を続ける。高速料金は被災者支援で無料だが「ガソリン代などもばかにならない」とこぼす。東電による精神的賠償も今後支払われるか不透明だ。「避難区域の住民はもちろんだが、自主避難者も被害者なのに」と複雑な思いを明かし「今の生活をいつまで続けることができるのだろうか」と苦悩する。