民宿、PR、新開発...闘い続けた『9年間』 須賀川市・阿部農縁

 
モモの木を剪定(せんてい)する寺山さん。「9年間闘ってきたからこそ、何でもできる気がする」と農業を通じた新たな取り組みを模索する

 「9年間走り続けたから今がある」。須賀川市の農園「阿部農縁」代表の寺山佐智子さん(52)は風評を乗り越えてきた経験とそこから得た"人の縁"を糧に、農業を通じて人をつなぐ新たな取り組みを模索する。

 農園の野菜や果物を活用した漬物やジャム、コンポートなどの加工品を売り出すため、設備を整えてきた矢先の東日本大震災、原発事故だった。風評はすぐに予想された。手塩にかけたホウレンソウなどは出荷停止となり、処分せざるを得なかった。それでも「下を向いている場合ではない」と自身を奮い立たせた。

 震災後間もなく、本県の現状を全国の人に見てもらおうと、農業体験ができる民宿事業を展開。首都圏や関西方面のマルシェに出店し、本県の農産物をPRした。風評が取り沙汰されるほど「福島の農産物を買おう」という動きも感じた。手紙や会員制交流サイト(SNS)でやりとりしてきた古くからの顧客も応援してくれた。「おいしい」「頑張ってるね」という言葉が背中を押した。

 もちろん、売り上げは落ちた。出店しても売れ残り「私は何をしに行ったのだろう」と落胆することもあった。だが、失敗を力に変え、品ぞろえや商品の見せ方などを消費者の目線で考え続けた。売れなければ、長く保存できる加工品にした。「大手に負けない商品を」と、水を一滴も使わずモモを蒸し煮にしたコンポートを開発。ジューシーな果実の食感と豊かな甘みを実現したコンポートは、海外でも好評を博した。「しっかりしたものを作れば売れる」。手応えをつかんだが、震災と原発事故から4年ほどが経過していた。

 2007(平成19)年に就農する前は、約20年間看護師として働いていた。「それまでの役割は人を元気にすることだった。農家となった今の役割は人が"元気でいる"ようにすること」と語る。土や空気、収穫した野菜など農園の資源を最大限に生かし、昼食作りやラジオ体操を学ぶイベントを企画するなどファンを増やしてきた。「これからの農業は生産に加え、プラスアルファの取り組みが求められる」と、農業を軸とした人と人のつながりの創出、健康づくりに努める。

 集大成となるのが、震災から10年の節目となる来年3月11日、農園敷地内で開所予定の「SHINSEKI(シンセキ)ハウス」だ。広さ約90平方メートルの木造平屋に、まきストーブやバリアフリートイレ、調理場、イベントスペースなどを設けた施設を構想。ハウスを拠点に農業体験や料理教室など各種イベントを開き、コミュニティーの活性化や高齢者の健康増進を図る。建設のために取り組んだクラウドファンディングには、多くの支援が寄せられた。

 「9年間無我夢中、必死だった。闘ってきたからこそ、何でもできる気がする」。「阿部農縁」という園名が象徴するように、これからも人の"縁"を大切に紡ぎ続ける。