安全なコメ...大切な人のため 須藤さん、共感励みに農にこだわる

 
「安全な農産物を届けることが、福島の自信につながる」と話す須藤さん

 避難住民の帰還や風評の払拭(ふっしょく)、産業の再生など、東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から丸9年を経てもなお、課題が山積する本県。各自治体が課題の解決を目指す一方、浜通りでは福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想が推進されるなど、復興に向けた新たな取り組みも始まっている。本県の今、そして将来をつくるため、県民はそれぞれの現場で歩みを進めている。

 「安全な農産物を届けることができること。それが私たちの誇りであり、福島の自信につながる」。会津若松市の農業生産法人「すとう農産」取締役の須藤ボンド亜貴さん(43)はそう、信じている。

 9年前のあの日、ポーランドで日本語教師をしていた須藤さんは、テレビから流れてきた映像に目を疑った。数週間後、両親の無事を確認したが、心配は募るばかりだった。

 父久孝さん(73)は、無農薬や減農薬に取り組み、こだわりのコメを生産している農家。全量全袋検査を経たコメは全て、放射性セシウムが検出限界値を下回ったが、消費者は納得してくれなかった。「売り上げが3分の1になった」。受話器の向こうの久孝さんの声に「私はこのままでいいのだろうか」と悩んだ。

 両親や兄と一緒に農業に携わろうと決意し、2014年春に故郷に戻ってきた。帰国して、風評の根深さを思い知らされた。東京での販売会では「福島と言っただけで、お客さんが逃げていった」。

 それでも「早く注文したい」「待っているから」と注文してくれる人たちの励ましに救われた。原発事故をきっかけに改めて知った、自分たちが追求してきた農業に共感してくれる人たち。「大切な人に、自信を持って食べさせたいものを作り続けたい」。あの日から10年目を迎える今、須藤さんは心に誓う。