『記憶と教訓』...未来へ アーカイブ施設・双葉に9月20日開館

 
「災害には備えるだけでなく、判断力が重要になる」と話す語り部の横田さん。感染症対策でフェースシールドを着用している

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の記憶と教訓を伝承する施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」が20日、双葉町に開館する。約150点の展示資料と映像に加え、複合災害を経験した語り部が生の声で発信する。「災害に遭った時にどう対応するか、判断力を磨くべきだ」。語り部がその思いを明かした。

 語り部・横田さん、地元に関わる

 【浪江町出身・横田善広さん】「子どもたちを避難させた校庭に泥だらけの町民が避難してきた。そこで初めて双葉町にも津波が押し寄せたことが分かった」。語り部の一人、横田善広さん(60)=浪江町出身=は「3・11」をこう振り返った。

 横田さんは双葉北小(双葉町)の教頭だった2011(平成23)年3月、震災に見舞われた。学校が町民の避難所となり、横田さんは一晩中、避難所の運営に当たった。夜が明けて浪江町の自宅に戻ろうとしたが、路肩が崩れるなど地震の被害は想像以上に激しく、普段なら20分ほどの道のりが約1時間かかったという。

 自宅に着いた時、避難を知らせる防災無線が鳴り響いた。「地震なら避難することはない。原発で何か起きたに違いない」。2、3日すれば戻れると思い、飼っていたシバ犬のリキに餌と水を与えて避難することにした。しかし、原発事故が起き、自宅には戻れなくなった。「鎖をつないだまま避難してしまった。(リキは)自力で餌も水も確保できない」。愛犬をどうやって助けられるかばかりを考える中で、双葉町が埼玉県への全町避難を決めた。以降、横田さんは身を寄せていた三春町と埼玉県を往復することになった。

 3月30日。郡山市から埼玉県に向かうバスに乗り込もうとした時、愛犬が保護され、東京都内にいるとの電話を妻から受けた。「そんなわけはない。誰がどうやって助けたのか」。初めは信じられなかったが、都内のドッグトレーナーが原発事故の避難区域に入り、取り残されたペットを助け出していた。「なぜ助けてくれたのか」と聞くと、ドッグトレーナーはこう答えた。「命の大切さは人間も動物も同じだから」

 横田さんは今春、定年退職した。県の語り部事業に参加した経緯もあり、伝承館で働いてみないかと声を掛けられた。「地元と関わりを持ちたいと思った」と快諾した。横田さんは飼い犬を鎖でつないだことを思い返すことがある。「さまざまな災害が予想されるが、準備をしたからといってそれが十分とは限らない。自分が災害にどう対応するか、判断力を磨くべきだ」。横田さんはペットを通して災害の教訓をこう伝える。

 学び、経験...生かしたい 若きスタッフの決意

 【ふたば未来高卒・遠藤美来さん】今春、ふたば未来高を卒業したスタッフの遠藤美来さん(18)=いわき市出身。卒業したら働こうと決めていたが、就職先となると悩んでいた。

 「担任の先生から伝承館ができるので、そこで働いたらどうかと勧められた」。先生の言葉がきっかけとなった。

 高校1年時の震災学習で浪江町や双葉町で野外調査を行い、学んだことを劇にした。2、3年の時には探究活動として、広野町で高齢者や障害者への支援について研究した。

 ただ「自分は原発事故の被災者ではないから」と伝承館で働くことに迷いもあったという。それでも「担任から『学んだことを伝えられるのは美来しかいない』と言われ、風化させてはいけない」と決意した。

 双葉郡になじみはなかったが、ふたば未来高のある広野町に通ったことで縁ができた。「町の人がみんな声を掛けてくれる。温かい町だなと思った」。そんな双葉郡の魅力も伝えたいと考えている。

 【小高産業技術高卒・渡辺舞乃さん】小学生の時に南相馬市で被災し、山形県に避難した渡辺舞乃さん(18)もスタッフの一人だ。渡辺さんは、中学入学に合わせて古里に戻った。「避難先で友人もできた。でも家族で話し合い、故郷に戻ることになった」と話した。

 小高工高と小高商高が統合して誕生した小高産業技術高の1期生。卒業後の進路を考える中で伝承館について知ったが、就職先として迷いがなかったわけではない。「震災当時のことをだんだん忘れている」との思いがあったためだ。

 ただ、発災から時がたち震災や原発事故のことを伝えられるぎりぎりの年代かもしれないと考えたという。「何かを伝えることは得意ではなく、来館者をうまく案内できるかどうかもは分からないけれども頑張りたい」と渡辺さんは言葉に力を込めた。