【避難区域の変遷】原発事故から9年半...「全面解除」見えぬ将来

 

 東京電力福島第1原発事故後、県内の各地に避難指示が出され、最大約16万人の住民が避難を余儀なくされた。避難指示にはさまざまな区分があり、それぞれに賠償や支援策の幅が決められたため、住民の分断の種にもなった。事故から9年半、多くの地域で避難指示が解除され、帰還困難区域が残るのみとなった。

【避難区域の変遷】原発事故から9年半

 【状況悪化広がる対象】東京電力福島第1原発事故の状況悪化に応じて、国の避難指示は原発から半径3キロ(3月11日)、10キロ(12日朝)、20キロ(12日夕)に拡大し、双葉郡を中心に住民避難を余儀なくされた。また、3月15日には原発から20~30キロ圏内の地域に屋内退避が指示された。少なくとも国が自主的な避難を要請する25日まで、屋内退避となった地域では物流が止まり、住民生活に大きな影響が出た。

【避難区域の変遷】原発事故から9年半

 【20キロ圏外新たな指示】第1原発20キロより遠い地域でも、年間被ばく線量が20ミリシーベルトに達する恐れのあることが分かり、新たな避難指示が行われた。計画的避難区域は、おおむね1カ月の間に避難完了を目指す地域。緊急時避難準備区域は、常に避難や屋内退避を準備する地域。原発20キロ圏内は、立ち入りが原則禁止される警戒区域となった。このほか、世帯ごとに避難を支援する特定避難勧奨地点が伊達市などに設けられた。

【避難区域の変遷】原発事故から9年半

 【解除準備区域を設定】第1原発が冷温停止状態に至ったことから、国が11年12月に避難指示区域の再編を決定。5年を経過しても年間の被ばく線量が20ミリシーベルトを下回らない恐れがある地域を帰還困難区域、年間20ミリシーベルトを超える恐れがある地域を居住制限区域、年間20ミリシーベルト以下になることが確実な地域を避難指示解除準備区域とした。区域の見直しは市町村ごとで行われ、最終的に確定したのは13年8月のことだった。

【避難区域の変遷】原発事故から9年半

 【5市町村が避難解除】国は、除染などによる空間線量の低下や復興事業による社会的インフラの復興の状況などを踏まえ、年間20ミリシーベルトを下回ることを原則に避難指示を解除した。解除を巡る協議では、「古里に帰りたい」「時期尚早だ」という意見の対立などがあり、それぞれの自治体で調整が行われた。16年7月までに田村市や川内村、楢葉町、葛尾村、南相馬市の全域や一部でそれぞれ避難指示が解除され、復興が進められた。

【避難区域の変遷】原発事故から9年半

 帰還困難区域がある自治体は、区域内に将来人が住むことができる特定復興拠点区域(復興拠点)を設定し、環境整備を進めている。しかし、拠点から外れてしまった地域の将来像は定まっていないのが現状で、国に早期の方針提示を求める声が強まっている。

 【双葉町】町の総面積5142ヘクタールのうち、96%を占める約4900ヘクタールが帰還困難区域となっている。今年3月には、復興拠点のごく一部や避難指示解除準備区域など計約240ヘクタールの避難指示が先行解除されたが、町の総面積の4.6%にとどまっている。
 このため、町は復興拠点から外れた地域も含めた帰還困難区域の全域解除を求めている。伊沢史朗町長は、国が可能性を示している復興拠点の段階的な拡大では、「復興拠点の内外という分断が続く」と懸念を示す。
 町が注目しているのは、拠点外の農地の面積だ。復興拠点外の農地の面積は約530ヘクタールで、現在認定されている復興拠点の面積約555ヘクタールとほぼ変わらない。農地には民家が隣接している場所が多く、周辺の除染や家屋解体を組み合わせることで、原発事故前の主要な生活圏を取り戻す構想を描いている。

 【大熊町】帰還困難区域の4900ヘクタールのうち、復興拠点として約860ヘクタールを整備する。町は2022年春ごろまでの避難指示解除を目指しており、解除から5年後までに約2600人の居住を目標に掲げる。
 JR大野駅の周辺地区では、産業交流施設や町のアーカイブズ施設の建設を計画している。また、帰還住民や廃炉関係の従業員向けの住宅や産業団地の整備も検討している。
 3月に立ち入りの規制が緩和された下野上地区は、「居住・営農ゾーン」と「産業・交流ゾーン」の2地区に再編する。「居住・営農ゾーン」では住宅用地や農地を整備、「産業・交流ゾーン」では、ロボットなどの新産業の企業を誘致したり、スポーツ施設や交流施設の機能を集約したりすることを目指している。町の担当者は「帰還困難区域を使える環境に戻すのが国の責務」と指摘する。

 【富岡町】整備を目指している復興拠点の面積は、町の帰還困難区域の約46%に当たる約390ヘクタールで、2023年春の避難指示解除を予定している。震災前は当時の人口約1万6千人の2割強に当たる約4千人が住んでいた。
 今年3月10日には復興拠点のうち、JR常磐線夜ノ森駅の駅舎と周辺の道路1130メートルの避難指示が先行解除された。町は、先行解除を「真の復興の足掛かり」と位置付け、復興拠点の再生に向けた新たなまちづくり計画を描く。駅近くに住居や買い物環境を整備し、健康増進施設を新設する。周辺には、ランニングやウオーキングを楽しめるコースも整える。
 一方、復興拠点から外れている帰還困難区域約460ヘクタールについて、町は「除染なしの解除はあり得ない」とし、引き続き国に除染の実施を求め、避難指示の解除を目指す。

 【浪江町】帰還困難区域約1万8100ヘクタールのうち室原、大堀、津島の3地区の約661ヘクタールを復興拠点として整備する。町は2023年3月までに避難指示を解除、解除から5年後までに約1500人の居住を目指す。
 室原は家老地区を除いた区域、大堀は末森地区、津島は津島支所とつしま活性化センターを中心とする区域が整備エリア。各地区に「居住促進」「交流」「農業再開」のゾーンを設ける。
 室原には常磐道浪江インターチェンジがあり、交通の要となることから「物流・産業」と「防災」のゾーンを設ける。大堀では営農再開のほか、物産館「陶芸の杜おおぼり」を整備し大堀相馬焼の復活を目指す。津島では既存施設を活用し、新たなまちづくりを進める。町の担当者は、復興拠点から外れた地域について「避難も長期化し住民の分断も懸念される。国は見通しを示してほしい」と話す。

 【飯舘村】村内の行政区で唯一立ち入りが制限されている長泥地区に、地区面積の約1割に当たる186ヘクタールの復興拠点を整備する計画だ。2023年春の避難指示解除を目標としている。
 村は、今後の方向性が明らかになっていない復興拠点外の区域を巡り、「復興公園」を整備することで、全面的な除染は行わずに復興拠点と一括した避難指示解除をするよう、国に要望を続けてきた。
 国は今年7月、帰還困難区域について、除染をしていない地域でも放射線量が年間20ミリシーベルトを下回れば、地元の意向に応じ避難指示を解除する方針を示した。飯舘には朗報だが、他の帰還困難区域を持つ自治体はあくまで除染を求めており、立ち位置が異なる。
 復興拠点は、「居住促進ゾーン」と「農の再生ゾーン」に分けて整備する方針で、居住促進ゾーンは21年度の先行解除を図る。

 【葛尾村】帰還困難区域に指定されている野行地区1600ヘクタールのうち、約95ヘクタールを復興拠点として整備する。同地区では東日本大震災前、約120人が生活していた。村は2022年春ごろまでの避難指示解除を目指し、解除後は約80人の居住を見込む。
 復興拠点は、「中心地区再生ゾーン」と「農業再生ゾーン」に分けられる。中心地区再生ゾーンでは、既存の野行公民館を地域住民の交流拠点として活用するほか、自宅の再建などで訪れる住民が集中して自宅の片付けなどができるように宿泊施設を整備する。
 農業再生ゾーンでは、村の基幹産業である農畜産の再興を目指して、農地の復旧や牧草地の造成などを計画している。村の担当者は「担い手の定着を図るため、どのような作物が村の気候に合い、高く売れるのかなど、市場の動向などを踏まえて判断していく必要がある」と将来を探る。

 【南相馬市】南相馬市の帰還困難区域は原町、小高両区の一部、約2400ヘクタールにまたがり、市内全域の約6%に当たる。市によると、同区域のほとんどが国有林で、震災前は小高区に1世帯2人のみが住んでいた場所だった。
 「のどに魚の骨が刺さったままのような気持ちだ」。門馬和夫市長は市内に残る帰還困難区域をそう表現する。同市では2016年7月に小高区の中心部などで避難指示が解除され、住民帰還が一歩ずつ進んできた。
 残る帰還困難区域の避難指示が解除されたとしても、ほとんどが山林であり、開発計画はない。それでも、市民が足を踏み入れることができない地域が市内にあること自体が「復興は終わっていない」と市民が感じる要因の一つとなっている。
 同区域の解除時期は未定のままだ。門馬市長は「一日も早い解除をお願いしたい」と国に注文する。