【古里から再出発】『伝来の農地』新たな収穫 なりわい復活へ

 

 秋風が吹き始めた9月下旬、飯舘村の農業長正増夫さん(73)は肩の高さほどに伸びたエゴマの育ち具合を確かめていた。村外での避難生活を経て村に帰還し、「やっぱり村の暮らしが一番。村の農業の再生に向けてもう一度頑張りたい」と思いを新たにする。

 長正さんは村職員として働く傍ら、ソバを栽培する兼業農家だった。退職後も農業に従事していたが、原発事故で避難を余儀なくされた。「避難により地域のコミュニティーが壊されてしまった」と当時を振り返る。アパートで暮らした後、伊達市に一戸建てを建てた。「避難生活は半年くらいだろう」(長正さん)と思っていたが、避難は長期化し、古里帰還への不安は募っていった。

 震災後、放射線に関する情報があふれ、「自分の目で情報を確かめたい」と地元行政区と一体となり、専門家に生活圏の放射線量の測定を依頼した。「この線量なら村に戻って生活ができる」と決意。2017(平成29)年3月の帰還困難区域を除く避難指示の解除後、村に帰還した。

 「先祖が守ってきた農地でなりわいを復活させ、村民同士のつながりを再構築したい」。長正さんは5月、農家仲間と村の農業再生を目指す一般社団法人「いいたて結い農園」を設立。現在、3.5ヘクタールの農地でエゴマの栽培に力を注ぐ。「震災があっても村の風景は変わらない。みんなで農業を通じて交流するのが楽しい」。収穫を間近に控えたエゴマ畑で笑顔を見せた。

 震災前よりも「町が魅力的」

 「ずいぶんと暮らしやすい環境が整ったが、依然として若い人の姿は少ない」。楢葉町の遠藤典子さん(72)は2015年9月の避難指示解除から5年が過ぎても、若い世代の帰還の動きが鈍い現状が気掛かりだ。

 町によると、町に戻った住民4026人のうち、65歳以上の高齢者が4割弱を占める。遠藤さんはいわき市などでの避難生活を経て、18年春ごろに町に戻った。同年6月にスーパーや飲食店などが入る公設民営の商業施設「ここなら笑店街(しょうてんがい)」がオープンすることを知り「不便なく暮らせるだろう」と考えたからだ。

 町内では屋内体育施設が開館し、道の駅ならはの物産館も再開。住民が望んでいた薬局もできた。遠藤さんは「震災前よりも町の魅力が高まった」とさえ感じているが、就職などで町外の避難先に生活拠点を移したままの若い世代は多い。

 避難者を含めた町人口全体に占める町内居住者の割合は約50%まで戻ったが、この1年間の増加数は約200人と頭打ちの状況にある。遠藤さんは「町と民間が手を携え、若い人が戻りたいと思えるような職場の確保や、移住者を呼び込むための魅力ある取り組みを進めてほしい」と願った。