背中押す...『新しい風』 福島県に生活拠点、地域を支える力に

 
移住促進に向けたプログラムで県外の若者と交流する古谷さん(右)

 県外から生活拠点を移す本県への移住。震災で一時減少したが、近年は大きく増えている。その中には、震災と原発事故で傷ついた本県にあえて身を投じ、地域を支える力となっている人たちもいる。幅広い年齢層の移住者たちが、若さや元気、これまで培った知見など、本県に新しい風を吹き込んでいる。

 【楢葉】千葉出身・古谷かおりさん 志持つ人...地域とつなぐ

 「住民や風土、文化に溶け込めるよう移住者と地域をつなぎたい」。楢葉町の古谷かおりさん(36)は、移住という人生の岐路に臨む人に寄り添いながら支援する活動に情熱を注いでいる。

 古谷さんは千葉県出身で、自身も震災後に同町に移住した一人。「被災地に行けば私を必要としてくれるのではないか」。震災前は東京都内で設計士のアシスタントとして働いていたが、仕事がうまくいかずに悩む日々を送る中、そんな思いを抱くようになった。

 まずは本県の現状に理解を深めようと、2015(平成27)年に民間主導の復興を担う人材育成プロジェクト「ふくしま復興塾」に参加。16年に郡山市の建築関連会社に就職した。復興塾や仕事で双葉郡に足を運び課題を見つめる中で、復興作業員と地域住民が交流できる場をつくりたいと思った。

 一念発起し、楢葉町に移住して17年9月に居酒屋「結(ゆい)のはじまり」を開業。おかみとして店を切り盛りする中で地域住民との絆が強まり「これからも楢葉で暮らしていく」と決意した。一方で、自身と同様に被災地に関心を持って移住した若者が、仕事や人間関係など思い描いていた理想と現実のギャップに悩み、結局は去ってしまう状況を目の当たりにした。

 「復興に携わりたいという若者の志を無駄にしたくない」。古谷さんは移住者を支えようと、18年春にお試し感覚で移住を体験できるシェアハウスの運営を開始。本格的な移住を前に、実際の生活の中で現地の環境や習慣などを知ってもらう試みだ。

 また、県と連携し、地域に根付く仕事や暮らしを体験してもらう事業に取り組んでいる。今月初旬には楢葉町伝統のサケ漁の体験や漁業関係者と交流するプログラムを企画し、関東の大学生ら3人が参加した。

 古谷さんは「地域の魅力を感じてもらい、またいつかこの地に戻ってきたいと思えるきっかけをつくりたい」と力を込めた。

 【南相馬】神奈川出身・豊田雅夫さん タマネギ柱に農業復興

 「南相馬をタマネギの産地に」。南相馬市原町区の豊かな福島をつくる「豊福ファーム」社長の豊田雅夫さん(47)はタマネギを活用した農業復興を目指し、奮闘している。

 豊田さんは神奈川県出身。震災前は東京で経営コンサルタント業やアパレル関係の会社などに務めていた。震災後は南相馬土地改良区から農業系経営コンサルタントとして復興に携わってほしいと申し出があり、南相馬市に訪れた。

 豊田さんは講演会などを通して農家にタマネギの栽培を提案。豊田さんの提案に賛同した農家を支えていくうちに、自らも本格的に農家として活動しようと思うようになり、2016(平成28)年に正式に南相馬市に移住した。

 現在はタマネギを活用したカレー作りに取り組んでいる。その名も「野馬土手カレー」。17年に初めて相馬野馬追を見て着想を得た。江戸時代に野生馬を囲い込むための土手があったことなどを知り、名前やカレーの見た目の参考にしたという。豊田さんは「地域の歴史を知ることができる郷土料理にしたい」と意気込む。

 【飯舘】東京出身・星野勝弥さん 訪問看護で医療支える

 飯舘村初となる訪問看護ステーション「あがべご」の開業から3カ月が過ぎた。事業を手掛ける星野勝弥さん(67)は「あがべごを広く周知し、訪問看護の実績を積み重ねながら、地域医療を支えていきたい」と気持ちを新たにする。

 星野さんは東京都出身。原発事故で飯舘村が全村避難となったこと知り「村は原発があるわけではないのに、大きな被害を受けた。その村で訪問看護を通じて、住民の帰村の手助けや、地域医療の支えになりたい」と考え、一念発起。村の大部分に出されていた避難指示が解除された後の2017(平成29)年10月に移住を決断した。

 あがべごでは、星野さんのほかに3人の看護師が勤めている。「利用者の『ありがとう』の言葉が活動の励みになる。まずは訪問看護の信頼性と必要性を村民に感じてもらうことが大事」と力を込める。

 星野さんは今後、訪問介護事業の展開も検討しており、「『医療の空白化』を防ぐため、事業を安定させていきたい」と話す。