「原発内部」把握し切れず 全電源喪失、炉心溶融後に水素爆発

 

 2011(平成23)年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする東日本大震災が起き、県内で最大震度6強を観測した。東京電力福島第1原発では運転中の1~3号機が自動停止したが、地震で外部電源を失い、約13メートルの津波で非常用電源などが水没。全電源の喪失で原子炉への注水が止まり、核燃料から出る崩壊熱で圧力容器内の水が蒸発、水位の低下が進んだ。

 1号機格納容器の圧力上昇を受け東電は12日、格納容器内の空気を放出して破損を防ぐ「ベント」を実行した。だが、圧力容器内で核燃料が露出して溶け出す炉心溶融(メルトダウン)により大量の水素が発生、格納容器から漏れ出て原子炉建屋に充満し、何らかの原因で引火して原子炉建屋の天井を吹き飛ばした。

 3号機も同様の経過をたどり、14日に水素爆発が発生。定期点検で震災前から停止していた4号機でも、3号機のベント時に排気管から流れ込んだ水素が引き金となり、15日に爆発が起きた。2号機は原子炉建屋上部のパネルが1号機の爆発の衝撃で吹き飛び、水素が外へ逃げたことで爆発を免れたが、ベントの失敗で格納容器から直接、大量の放射性物質が漏れ出たとみられる。

 3、4号機では使用済み核燃料を保管するプールも問題となった。冷却機能の停止で水の蒸発が続いているとみられ、政府は陸上自衛隊や警視庁の協力を得て空中と地上から放水を続けた。各号機への通電再開で原発は徐々に落ち着きを取り戻したが、当時の規制当局は福島第1原発事故の深刻度を巡り、国際的な事故評価尺度(INES)で最悪のレベル7と評価した。東電は4月、事故収束に向けた最初の工程表を発表し、5月に1~4号機の廃炉を正式決定。政府は12月、1~3号機の冷却が安定し、放射性物質の新たな放出が抑えられているなどとして原子炉の「冷温停止」を宣言した。