【Jヴィレッジルポ】「聖地」に戻った歓声 復興のシンボル復活

 
青々とした天然芝のピッチを眺めながら「就任当初は、ここまで早く復旧できると思わなかった」と話す上田副社長

 2018(平成30)年7月に営業を再開して以来、復興の象徴と呼ばれてきたJヴィレッジ。ホームスタジアムとなったいわきFCの試合やサッカー大会の取材で訪れる度、天然芝の緑に目を奪われる。

 原発事故後、事故対応に当たる作業員らの拠点となった。練習や試合をする「ピッチ」は駐車場として使われ、天然芝は灰色の砂利で覆われた。「一面グレーの景色を初めて見た時は、こんなに早く復旧するとは思わなかった」。上田栄治副社長(67)は就任した13年当時を振り返る。

 震災当時を知る数少ないスタッフの一人、明石重周さん(42)は震災直後、「3番ピッチに車を止めてください」と言われた経験が忘れられない。敷き詰められた砂利に車のわだちが刻まれていた。「神聖なピッチに車で入るなんて」と、当時を思い今でもつらさが込み上げるという。

 東京五輪の開催が決まった13年秋ごろから、"Jヴィレッジ復活"の機運も高まった。「目標がなかったところから、『18年夏には一部だけでも』と話が進んだ」と上田副社長。17年までは原発事故対応の拠点として使われたが、その後復旧が急ピッチで進んだ。

 再開後、全天候型練習場が整備されたほか、周辺ではJR常磐線のJヴィレッジ駅も常設化、震災前以上の設備が整った。施設が一望できるセンターハウス4階から見渡しても、事故対応拠点だった名残はまったく見当たらない。震災について学ぼうと、県内外から訪れる学校も増えているという。「サッカーの聖地」に「復興のシンボル」の側面が加わり、学びの場としての役割も果たしている。

 再開から約2年半。数年前は駐車場などとして使われていた場所に青々とした天然芝が敷かれ、選手が駆け回る。それを観客が応援する光景が当たり前に戻りつつある。

 2月末に行われたいわきFCと福島ユナイテッドFCによる「福島ダービー」には2000人以上が訪れ、1プレーごとにスタンドが沸いた。家族連れの女性は「震災当時、ここで子どもとサッカーで盛り上がれる日が来ると思わなかった」と感慨深げだった。これからも同じような光景が見続けられるはずだ。