須賀川市庁舎、困難乗り越え再建 壊滅的な打撃、行政機能が分散

 
市の誇る須賀川松明あかしの大松明をイメージした「松明の塔」を設置し、災害対応拠点として整備した新庁舎

 東日本大震災では、本県内陸部の自治体も激しい揺れによる大きな被害があった。なかでも須賀川市は、当時の庁舎が壊滅的な打撃を受け、行政機能の分散を余儀なくされた。新庁舎での業務再開は2017(平成29)年5月のことで、実に6年の歳月を要した。「復興のシンボル」となった市庁舎再建の歩みを追った。

 財源、人材不足に苦心

 2011(平成23)年3月11日、須賀川市を最大震度6強の激しい揺れが襲った。行政機能の中枢を担っていた市庁舎は、倒壊こそ免れたものの柱などの構造物に深刻な打撃を受けて使用不能となった。災害対策本部は、庁舎北側にあった市体育館に設けられた。

 行政機能は、須賀川アリーナなど複数に分散することになった。市体育館では一時、被災住民を受け入れながら業務が行われた。職員はヘルメットをかぶって市庁舎に入り、必要な書類を取り出した。机は運び出せなかったため、卓球台などで代用する状況だった。

 11年12月には復興計画をつくり、庁舎再建に向け動きだしたが、課題となったのは財源だった。当時は役場再建に使うことができる国の補助事業はなかった。このため「復興交付金」を活用することで、まちづくりと一体化して整備を図るという活路を見いだした。

 防災拠点となる安全・安心な庁舎を目指し、工事入りしたのは14年10月。しかし、建設現場の人材不足が影響する。コンクリートはあっても型枠工がいないため、沖縄県から来てもらったこともあった。五輪関連事業の増加などが資材不足も招き、完成予定が2度ずれ込む苦労を味わった。

 新庁舎で業務を始めたのは17年5月。市行政管理課は「機能が分散している時は用事が一日で済まないなど、市民に迷惑を掛けていた」と振り返る。駐車場整備など、全ての工事が終了したのは昨年6月だった。

 新庁舎は「みんなの家」

 免震機能を備えた新庁舎は、市民が集う「みんなの家」となるよう整備した。市民が使うことができる会議室を設けたほか、吹き抜けで明るい雰囲気の1階ホールをフリースペースとして開放している。

 市内の主婦、幕内涼香さん(30)は「開放感があって入りやすい雰囲気。災害にも強い庁舎で安心できる」と話す。生後11カ月の長男を連れて訪れることもあり、フリースペースには「子ども連れでも落ち着ける場所があるのはありがたい」と好印象を持っている。市によれば、夕方には学校帰りの生徒らが勉強する姿もあるという。

 橋本克也市長(58)は4月の会見で、新庁舎の整備について「困難な状況を市民の協力で乗り越えてきた」と語った。2月の本県沖地震で庁舎にほぼ影響がなかったことに触れながら、「地震災害に強い庁舎を活用し、いざという時の対応を取れるようにしたい」と、震災10年を経た防災への誓いを新たにしていた。