田村・都路地区「シイタケ原木の森」再生へ 阿武隈高地の林業

 
シイタケの原木として使うには育ち過ぎてしまい、伐採が必要な木を指さす渡辺さん=田村市都路町

 東日本大震災前、本県の阿武隈高地は全国有数のシイタケ原木の産地だった。しかし、東京電力福島第1原発事故により、出荷がストップしているのが現状だ。国や県などは本年度から「里山・広葉樹林再生プロジェクト」として、産地の復活に乗り出した。震災から10年、ようやく動きだした取り組みの課題を追った。

 震災前は年間20万本生産

 「この木はもう、だいぶ大きくなってしまっていますね」。ふくしま中央森林組合都路事業所長の渡辺和雄さん(59)は、田村市都路地区の里山でコナラを指さしながらつぶやいた。木々の成長は本来、林業関係者の喜びとするところだ。ただ、阿武隈高地の広葉樹林では、そうではない。

 市場に出回る人工栽培のシイタケには、切り出した広葉樹に菌を植え付けて育てる「原木シイタケ」と、木を粉々にしたおがくずで菌を育てる「菌床シイタケ」の2種類がある。本県の阿武隈高地、中でも都路地区は、シイタケ栽培に使われる原木の一大産地だった。

 阿武隈高地はかつて、燃料に使う薪炭の生産地だった。頻繁に人の手が入るため、山林にあるコナラなどの広葉樹はあまり大きくなかった。後に燃料がガスなどに代わると、薪炭の需要は激減した。渡辺さんによると、昭和20年代ごろに商社が訪れ、林業者らにシイタケ原木の生産を持ち掛けたという。これが大きな転機となった。

 原木栽培には、直径10センチ程度の広葉樹が最適とされており、都路ではちょうどそのサイズの木を効率的に出荷できる環境が整っていた。柔らかく、シイタケの栄養となる部分が多いという品質が評価され市場に出回るようになると、原木生産への転換は進んでいった。震災前の2010(平成22)年度には、都路地区だけで約20万本が生産され、関西圏まで流通するようになっていた。

 渡辺さんは「昔は個人で販売していた人は、1ヘクタール当たり50万~70万円ほどになったと聞いている」と語る。原木の生産は、関係者にとって貴重な収入源だった。しかし、11年3月の原発事故が、その環境を一変させた。

 止められた伐採と収穫

 原発事故で放出された放射性物質は、阿武隈高地の森林に沈着した。シイタケに放射性セシウムが入り込まないようにと、政府が定めた原木として使用可能な指標値は原木1キロ当たり50ベクレルだった。都路をはじめとする原木産地では、指標値を上回ったため出荷することができなくなった。

 原木の出荷停止は、経済的な問題にとどまらず、森林の管理にも影響するようになった。人の手が入った広葉樹林では「萌芽(ほうが)更新」と呼ばれる森林の再生サイクルが取られる。成長した木を伐採すると、切り株から複数の芽が生えてくる。その芽が大きく幹になり枝葉を付けるまで待ち、再び収穫する。

 阿武隈高地では、原木に適した直径10センチの材木が取れるよう、約20~25年の周期で伐採していた。出荷停止により安定して必要な経費を賄うことができなくなり、更新のサイクルもストップした。

 広葉樹は伐採しないと、芽が生える率が下がる。都路の木々は、原木生産の視点から見れば、育ち過ぎてしまっているのだ。むやみに伐採、更新しても、収入がないためそのまま経費が赤字になるという厳しい状況に陥っていた。

 20年で5000へクタール更新目指す

 今回、国と県などによる「里山・広葉樹林再生プロジェクト」が始まり、林を広範囲に伐採できる財源が確保されるようになった。ふくしま中央森林組合は都路地区で、震災前に原木シイタケの生産に特化していた森林を中心として、20年間で1ヘクタール当たり5000本を生産できるような場所を500ヘクタール更新したい考えだ。

 渡辺さんによれば、現在の都路地区の原木からは1キロ当たり200~300ベクレルの放射性セシウムが検出されるという。伐採による更新で、放射線量が下がるという研究データも出ているが、さまざまな対策を組み合わせても、今の伐採から20年後に生産される新たな原木が、どのような線量になるかは確実に見通せない。

 だが、渡辺さんは「原木林を再生させるためには、今やるしかない」と決意を新たにする。