「仮設住宅」被災者支える役割全う 震災と台風、乗り越え次へ

 
「復興が実感できるようになれば」と、思いを込めて仮設住宅の解体作業に取り組む国分さん

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故により、県内には計1万6800戸の仮設住宅が建設された。地震や津波、避難指示で住み慣れた家を失った被災者の生活の支えとなった仮設住宅は今、どうなっているのか。震災後に発生した災害で、本県の経験はどのように生かされたのか。震災10年で振り返ってみた。

 解体工事「復興が進んだこと実感できる」 本宮・恵向仮設住宅

 「この工事が完了したらまた一つ、古里の復興が次のステージに進んだことを実感できると思う」。本宮市にある恵向仮設住宅の解体工事に取り組む国分木材工業専務の国分久徳さん(38)は、地元企業として現場に臨む思いを語った。

 同仮設住宅は2011(平成23)年秋、東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた浪江町民の住まいとして本宮市の公園の一角に開設された。ログハウス形式の仮設住宅が137戸建てられ、ピーク時には浪江町民約130世帯、250人が身を寄せた。

 一つのコミュニティーとして芋煮会やカラオケ大会なども開かれ、避難者が苦楽を共にした。復興公営住宅への転居など生活再建が進んだことから、18年3月には仮設に設けられた自治会も解散。住民の退去にめどが立った19年には、解体工事に入る予定だった。

 しかし、その年の秋に東日本台風(台風19号)が発生し、水害に遭った本宮市民の避難先となった。水害の避難者が完全に退去したのは今年の5月で、解体工事は6月中旬に始まった。二つの避難を受け入れた仮設だけに、国分さんは気持ちを込め、解体作業に取り組んでいるのだ。

 仮設住宅の解体は、室内の片付けから行われている。ガス台や流し台、便器などを運び出し、次に壁板や断熱材などの内装材を撤去する。「震災から10年が経過しても木材はまだまだきれいなんだよね」と国分さんは室内を見渡す。

 住宅本体の約3割は、ログハウスの再利用を手掛ける業者に引き取られ、鹿児島県の離島などで宿泊施設として役立てられる予定になっている。残る住宅は重機で解体し、建築資材の9割をリサイクルする。

 今は仮設住宅や舗装された道路に加え、草木が生い茂る敷地は、更地になったあと本宮市が再び公園として整備する。芝生が敷き詰められ、子どもの声が聞こえる広場。そのような光景を思い浮かべながら、国分さんは「工期を前倒しして取り組まないと」と語る。

 東日本大震災で建てられた仮設住宅は今、歴史的な役割を終えようとしている。