膨れる震災記録...どう残すか 12市町村、大量の蓄積文書保全へ 

 
大熊町が帰還困難区域の公共施設で保管する大量の公文書(町提供)

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年半が経過し、自治体には大量の「震災文書」が蓄積されている。どのように保全するかは、それぞれの判断に委ねられているのが実情だ。原発事故で避難指示が出された12市町村への聞き取りを中心に、震災に関連した文書を保全する上での課題などを探った。

 大熊町の帰還困難区域にある公共施設には、ほこりのかぶった段ボールが所狭しと積み上げられている。中に入っているのは、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後に町が作成した公文書。激動の震災対応が記された膨大な資料は、静かに時を重ねている。

 「書類はどんどん増える一方、保存場所は限られている。処分しなければならないが、何を残し、何を廃棄すべきか」。町総務課行政係長の小野寺拓也さん(35)は、頭を悩ませる。

 町の公文書管理規定では内容に応じて保存期限を1年、3年、5年、10年、永年と定めているが、原発事故前後の業務の変化を残そうと、2010~11年度の全文書は「永年保存」することに決めた。

 12年度以降の公文書はどうなるのか。町によると、震災関連文書は基本的に残す方針だ。「永年保存」に分類したものは、町が公文書としてデジタル化する。期限付きの文書は今後整備予定のアーカイブ施設に移し、震災の記憶と教訓を伝える資料として残す考えだ。

 町は昨年、公文書の選別作業に着手した。しかし、復興拠点の整備など、別の課題が山積している中では思うように進んでいないのが現状だ。

 文書の選別自体も、資料を手作業で一枚一枚確認する大変な作業だ。だが、記されているのは町の歴史そのもの。小野寺さんは「各課で連携し、大事な文書を後世に残していきたい」と決意を語った。

 自治体、保管場所手狭に

 南相馬市は、東日本大震災当時の書類を基本的に全て保存している。特に税金の減免に関する国からの通知や除染のデータ、当時の被害状況などは、後世に伝えるべき資料と位置付けている。ただ、保管場所が悩みの種になっている。

 市によると、これらの資料は市役所の各担当課、地下書庫、市内の公共施設の空き部屋などに保管している。デジタル化も進めているが、紙ベースの資料をどのように廃棄するかの基準が明確になっておらず、資料はたまり続ける一方だ。

 課ごとに対応しているため、全庁的な取り組みがしにくい現状もあるという。

 浪江町は、復興関係の文書を特に区別せず、3~10年などの保存年限に分けて保管している。役場内の書庫が手狭になってきたため、一部を旧浪江高の敷地を県から借りて「仮置き」している。担当者は「(敷地を借りることは)永続的にはできない。保存期間が3年や5年の文書は、震災関連であってもルール通り廃棄している」と語る。

 葛尾村も、震災関連を含めて全ての行政関係文書を保管しているが「保管場所は手狭になってきており、今後どうなるかは分からない」としている。

 管理の人手「足りない」

 双葉町は、原発事故時に東京電力から送られてきた通報のファクスや帰還困難区域に町民が立ち入る際の申請書類など、膨大な資料をいわき市内で保管している。一般の公文書も含めれば毎年段ボールで300~400箱増えるため、同町では文書を管理する人員の不足も課題になっている。

 特に、復興関係の文書は何を保管するか、どのような基準で廃棄するのかについて答えが出ていない。そのため、「公文書の価値を判断する専門職員『アーキビスト』の配置が必要ではないか」との声がある。

 飯舘村は、災害対応や放射線測定の記録、除染関係の文書などを保管しているが、やはり「膨大な文書を保管する専従の職員が必要だ」と指摘する。

 田村市は災害対策の会議資料や東電の賠償に関わる資料、川俣町は震災後の補助金関係の文書などを紙ベースで保管しているが、いずれも今後の管理の在り方を模索している。

 アーカイブ施設で展示も

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故により、双葉郡の各町村は役場そのものが避難を余儀なくされた。未曽有の災害に職員が多忙を極めたこともあり「正直、当時の全ての資料の実物がどこにあるのかは分からない」(広野町)という状況だ。

 川内村は2011年3月16日から避難を始め、役場機能を郡山市に移した。担当職員は「災害直後の(国や県からファクスなどで送られてきた)資料は整理が追い付かず、ほとんど残っていない」としている。

 一方、残っている資料を一般公開し、災害の記憶と教訓を発信する取り組みも始まっている。富岡町は、7月に開館したアーカイブ施設(震災記録施設)「とみおかアーカイブ・ミュージアム」で、災害対策本部で使ったホワイトボードなどのレプリカを展示している。

 広野町は住民の避難状況に関する職員の走り書きなどを写真で記録していた。そのため、8月に発刊した震災10年の記録誌で内容を紹介することができた。

 楢葉町も、県などに保管を委託している当時の資料の一部について、来年度後半に再開館する町歴史資料館で展示する方針だ。