責任認定...最高裁判断は 集団民事訴訟、慰謝料の方向性に影響

 

 東京電力福島第1原発事故を巡り、国や東電の責任を問う集団民事訴訟が全国で約30件争われてきた。このうち7件の訴訟は、早ければ来年以降に最高裁の判断が示される見通しだ。司法の最高機関が事故の責任をどのように認定するかは、集団訴訟全体の方向性に大きな影響を与える。民事訴訟を巡る現状を探った。

 最高裁に上告されている民事訴訟7件のうち、東電の責任については全ての高裁判決で認められ、賠償が命じられている。一方、国の責任については、各高裁の判断は分かれる。国の責任を争っている4件中3件で責任が認められ、1件は責任を否定している。

 最高裁は一般的に、損害賠償を伴う訴訟について上告を受け付けず、門前払いの「不受理」とすることが多い。その場合には、高裁の判決が確定する。ただ、原告を支援する弁護団は「今回は賠償の根拠となる原子力損害賠償法があるため、受理される可能性もある」と分析する。受理されると、一度だけ裁判が開かれ、最高裁としての判断が示される。

 受理された場合、注目されるのが国の責任だ。高裁は判断が分かれているが、最高裁は4件に統一的な判断を示すとみられる。原発事故から10年以上を経て民事訴訟上での国の責任の有無が明確になる見通しだ。

 また文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が示した「中間指針」(原発事故の賠償を定めた指針)を超えるような慰謝料は支払われるべきかどうか、支払われる場合にはどのような算定が必要か、という問題にも、一定の見解が示されるとみられる。

 賠償問題を検証している大阪市立大の除本理史(よけもとまさふみ)教授(50)=環境政策論=は「最高裁がどのように判断するか見通しがつかない」と慎重な姿勢を崩さない。ただ「もし最高裁が国の責任を認定すれば、中間指針の見直しや被災者支援の改善、そして責任の所在を明らかにしたいのに『お金が目当て』などと中傷されてきた、裁判の当事者の精神的な救済につながるのではないか」と指摘する。

 被災者が約10年訴え続けた避難の実情やふるさとへの思いは法的にどのような形で認められるのか、最高裁の判断が注目される。

 「人の痛み放置せずに」

 【原告】「事故によって私たちは未来を描けず、さまよい続けました」。本県から愛媛県に避難した住民らが起こした訴訟の原告である渡部寛志さん(42)は11月、被害者に向き合った判決を下すよう最高裁に要請し、その後の記者会見で思いの内を語った。

 渡部さんは事故当時、2歳だった娘を連れて南相馬市小高区から愛媛県に避難した。国の対応に納得がいかず、事故から3年後に裁判を起こし、避難した後の苦難を訴え続けた。

 今年9月、高松高裁は国の責任を認めた。渡部さんは「私たちの声は届いた」と思い、涙がこみ上げたという。最高裁の判断は、成長した娘と一緒に見届けるつもりだ。

 「希望を持てる社会であることを子どもたちに伝えるため、人の痛みを放置させない判断をお願いしたい」と訴えた。

 「支払い十分」主張変化

 【東電】集団訴訟の損害賠償を巡っては、これまでのほぼ全ての判決で事故の責任が認定されている東電が、主張を変化させている。

 これまでは「賠償が被害の実態に合っていない」と主張してきた原告に対し「中間指針に基づく賠償額や賠償範囲は十分合理性がある」と反論してきた。つまり、国の指針に従って賠償しているので、それ以上の賠償は必要ない―という主張だった。

 しかし近年は、裁判外紛争解決手続き(ADR)の和解によって支払われた賠償金などについて、すでに中間指針で定める賠償額を超えていると訴え始めた。言い換えれば、もう十分に支払い過ぎているので過払分として慰謝料に充当されるべきだから支払わない―と主張が変わっているのだ。

 この東電の賠償を巡る主張は、これまでの地裁、高裁判決では認められていない。弁護団は「訴訟上の主張にとどまらず、被災者への向き合い方も変化しているのではないか」と危惧する。