官民チームと二人三脚...居酒屋再建、浪江の大清水タミ子さん

 
チーム職員がまとめた経営改善などの書類を手に「助けてくれなかったら大変でした」と語る大清水タミ子さん=二本松市

 支援なければ「どうなっていたか」

 「官民チームがなかったら、どうなっていただろうか」。東京電力福島第1原発事故で浪江町から二本松市に避難した大清水タミ子さん(68)は、経営する二本松市内の居酒屋「こんどこそ」の店内で、しみじみと語った。

 「こんどこそ」は、浪江町中心部の人気店だった。1984(昭和59)年に開店し、地元の請戸漁港に水揚げされる新鮮な魚を使った料理を売りにしていた。しかし、2011年3月の原発事故により、休業を余儀なくされた。大清水さんは町の避難に従い、二本松市に住居を構えた。

 震災直後の二本松には、多くの浪江町民が避難していた。大清水さんの元には、誰からともなく「みんなが集まることができる場所をつくってくれないか」という声が寄せられてきた。大清水さんは、避難先での居酒屋再開を決意した。

 ただ、その道のりは厳しいものだった。「金融機関に行っても、何となく冷たかった。先が見えない中で本当に手探りでした」と振り返る。大清水さんは一人悩みながらも11年11月、JR二本松駅前に「こんどこそ」を再開させた。初めは訪れる客の9割が浪江町民だったが、そのうち地元の客も入るようになった。

 数年たち、経営が軌道に乗ったころ、官民合同チームの職員らが店を訪れた。「浪江町で事業を再開するご意向はありますか」と聞かれた。大清水さんは「意欲はあるよ。でもどうしていいか分からない」と答えた。ここから、チームとの二人三脚が始まった。

 チームの業務は、被災事業者の再建を「伴走型」で支援することだった。浪江との2店舗経営を実現するための二本松店の経営強化策、浪江で店を再開することに活用できる制度の紹介など、アドバイスは多岐に及んだ。大清水さんは「二本松に店を開いた時とは違う。先の見える人たちが一緒だ」と感じたという。

 努力の結果、18年9月に大清水さんの長男一輝さん(34)を店主とし、原発事故前の場所での事業再開を果たす。避難先の二本松市、古里の浪江町、二つの店はそれぞれの地域の住民の憩いの場となっている。

 大清水さんは、担当は代替わりするものの、チームが離れることなく定期的に訪問してくれたことが、何より励みになったという。「これから事業再開する人にとっても、そうなると思う」と語った。