私も「語る立場」に 被災体験の共有必要、記憶や教訓風化懸念

 
「伝承館が自分の身に置き換えて震災のことを考えられる場所になってほしい」と話す渡辺さん

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年以上が過ぎ、記憶と教訓が「風化」するのではないかという懸念がある。では、どのように伝えていけばいいのだろうか。浜通りに整備された震災伝承施設を巡ってみることにした。

 富岡町の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」を訪れた。町災害対策本部を再現したブースなどの展示からは、当時の緊迫感が伝わってくる。見どころはたくさんあったが、取り壊されたJR常磐線夜ノ森駅舎の看板を見て「懐かしいね」と、語り合う高齢の夫婦の姿が印象的だった。

 国道6号を北上し、浪江町の震災遺構「請戸小」に向かった。津波の生々しい爪痕が残る校舎内を歩くと、相馬市出身の記者は、自然と自分の被災体験を思い起こしていた。高台にある自宅の下まで船や車が押し流されてきて、津波の恐ろしさを実感したことなどだ。

 請戸小近くの「東日本大震災・原子力災害伝承館」(双葉町)では、施設職員で南相馬市出身の渡辺舞乃さん(20)の話を聞いた。渡辺さんは、小学3年の時に被災し、山形県に避難した経験などを語り部として伝えている。同年代ということもあり、お互いの震災に関する体験を語り合った。

 「私たちが当時の経験を伝えることで、同年代の若者に自分の身に置き換えて震災や原発事故のことを考えてほしい」という言葉が響いた。これまでは「津波で大切な家族や友人を失った人や原発事故で古里に戻れない人たちと比べたら、自分はたいしたことがない」と考え、被災体験をあまり話してこなかったが、私も「語る立場」になれるのだと思った。

 施設職員の説明に熱心に耳を傾ける男性5人のグループがいた。彼らは今春、関西圏の小中高校の教員になる京都府の大学院生という。「震災を経験していない私たちが震災を知らない子どもたちにこの複合災害をどう伝えればいいのか。現地を訪れ、自分の目で見て感じることが必要だと思いました」と、来場の理由を聞かせてくれた。

 地域や世代、経験が異なる人に震災や原発事故の全てを伝えることは難しいかもしれない。それでも当事者が記憶や教訓を共有し、語り掛ければ、震災を経験していない人にも自分の人生に落とし込んで考えてもらうことができるはずだ。その繰り返しが、未来の命を救うことにつながる。(郡山総支社・阿部二千翔)