健康も「復興」の一要素 帰還が進む広野町と住民、改善へ一丸

 
健康維持のための散歩に汗を流す黒田さん夫妻。2人は「意識して体を動かし、長く健康でいたい」と話す。左奥に見えるのが防災緑地=2月26日、広野町

 東京電力福島第1原発事故は、被災地の住民に古里からの長期避難を強いた。避難中の生活環境の変化は、健康指標の悪化という形で今も影響を及ぼしているという。2月下旬、双葉郡の中では早い段階で住民帰還が進んだ広野町を訪れた。

 「町民の健康は、町の復興に必要な要素です。町一丸となってやっていきましょう」。保健センターで開かれた食生活改善推進協議会の会合で、会長の松本登志枝さん(63)が集まった町職員らに呼び掛けた。穏やかな口調だが、決意と危機感が漂っているように感じた。

 事情を聴くと、広野町は県が公表する健康寿命の一つ「お達者度」で、2016(平成28)年に男女ともにワースト1位だったという。この指標は、65歳の県民が要介護度2以上にならずに自立して健康に過ごせる平均年数を示したものだ。広野は男性が14.88年、女性が18.08年。本県平均の男性17.14年、女性20.31年を大きく下回っていた。

 町は、避難中に農作業を含めて運動する機会が減ったり、食生活が乱れたりしたことが影響したと分析した。改善に向け、19年に「福祉のまちづくり」を宣言し、積極的な健康づくりの取り組みを展開している。会合でも「塩分摂取量を『見える化』し、日々の食生活の改善につなげましょう」などと、活発な意見交換が続けられていた。

 町民は、健康づくりについてどう思っているのだろうか。沿岸部の防災緑地で、海を眺めながら歩く黒田保夫さん(80)、あや子さん(81)夫婦に出会った。避難当時のことを聞くと、あや子さんは「仮設住宅の暮らしは、心身に負担がかかっていた」と振り返った。

 2人は町に帰ってから農業をやめ、体を動かす機会が減ったことから、意識的に歩くようにしているそうだ。保夫さんは「体が動く限りは、歩かなきゃな」と語った。あや子さんは、歩数が表示されたスマートフォンを記者に示しながら「広野に戻ったからには、生き生きと暮らしていきたいよね」と笑顔を見せた。

 普段取材している川俣町や飯舘村でも、「古里に帰る」という選択の背景には、一人一人それぞれの思いがあったと聞いてきた。避難などの苦しい経験を乗り越えてきたからこそ、これからを健やかに暮らしてほしい。帰路に就く2人の姿に、健康づくりと地域再生の将来を重ね合わせていた。(川俣支局・福田正義)