起業家は「小高」を目指す 南相馬、避難指示解除から6年経過

 
小高で生活する若手起業家の相談を受ける小高ワーカーズベース代表の和田さん(右)=小高パイオニアヴィレッジ

 東京電力福島第1原発事故で南相馬市に出た避難指示が解除されて7月12日で6年が経過した。原発から20キロ圏内の同市小高区は帰還困難区域に1世帯が残るものの、大部分の地域で復興が進む。東日本大震災から11年5カ月に合わせ、現状と課題をまとめた。

 集まる若者「夢実現できる土地」

 【小高パイオニアヴィレッジ】南相馬市小高区の中心部にある「小高パイオニアヴィレッジ」には、小高での起業に心を熱くする若者たちが集まっている。「彼らは復興支援に来ているわけではないんです。自分のやりたいことがあって、それを一番実現できる土地だから小高を選んでいるんです」。施設を運営する小高ワーカーズベース代表の和田智行さん(45)は、新住民として小高で暮らす若者たちの思いを代弁する。

 小高区は、原発事故により住民避難を余儀なくされた。避難指示は2016(平成28)年7月に解除されたものの、社会機能をゼロから構築する必要があった。

 和田さんは「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」を掲げ小高ワーカーズベースを発足させ、食堂などその時々の需要に応じた事業を興してきた。和田さんの考えに共鳴した人々によるコミュニティーがつくられ、小高を目指す若者が増えてきた。

 小高パイオニアヴィレッジは、簡易宿泊所付きの共同ビジネススペースだ。意見交換しているグループもあれば、集中してパソコンに向かう人もいて、自由な雰囲気が漂う。「起業する際は、住民に応援してもらうことが絶対に必要で、それぞれが関係を築いている。地区とともに自分の事業が成長していくのも、彼らにとっては魅力なんです」

 若者の支援に取り組む和田さんは、小高に腰を据える若者を地元が受け入れている現状を「心地よいまちになりました」と語る。

 小高区では若者の移住が進むが、居住人口は3000人台にとどまっている。しかし、和田さんは「移住したい人、あるいは移住に至らなくても小高に関わりたい人は多い。借家や気軽に滞在できるスペースの確保など、課題をクリアしていけば人口は伸ばせると思う」と前を見据える。暮らしている人が自分たちでまちをつくるという環境が、震災11年で根付きつつある。

 増えた親子連れ客 高齢者宅には訪問販売

 【公設民営スーパー「小高ストア」】「お客さんのニーズが変わってきたことは、お総菜の売れ方からも分かるんです」。南相馬市小高区の公設民営スーパー「小高ストア」を運営する丸上青果社長の岡田義則さん(47)は、2018(平成30)年12月の開店からの歩みを振り返った。

 地区唯一の生鮮食品を扱う店としてオープンした当初、客層は高齢者が目立ち、総菜も1人前が売れていた。原発事故から時間がたった時期だったが「(小高区に)品物を届けることはできません」と配送を断られることもあった。

 現在、仕入れは安定しており、親子連れで買い物を楽しむ住民の姿も増えた。総菜も売れ筋は3~4人前のパックに変わった。岡田さんは「帰還が進んでいるんだと思う。お客さんから声をかけられるようになったし、地元の店として認められてきたのかな」と話す。

 利用客に家族連れが増えたとはいえ、交通の足がない高齢者も多いため、移動販売にも乗り出した。地区の代表に「販売車で集会所まで行きます」と打診すると、「お年寄りは集会所まで歩けないよ」との答えが返ってきた。このため移動販売と言いながら、高齢者宅を直接訪問するようにした。小高の実情に応じたシステムが愛されている。

 買い物という日常生活に欠かせない現場から地区を見てきた岡田さん。「ドラッグストアなどがないから、週末は地区外に出るという人は多い。もし、地区内にできれば人の流れは変わる。住民の思いに応えていくことが、人口増につながると思う」と指摘した。