避難の資金的余裕なく 田村、常葉町元黒川行政区長・吉田さん

 
「緊急時避難準備区域が設定後も避難し続ける資金的余裕はなかった」と述懐する吉田さん

 田村市は、都路町の中で警戒区域に含まれなかった地域に加え、常葉町と船引町の一部が緊急時避難準備区域に指定された。このうち常葉町では黒川、田代、堀田、山根の4行政区のみが対象となった。当時、黒川行政区長を務めていた吉田来(きたる)さん(74)は「言われるがままに避難して、古里に戻ってきたら苦労だけが残った」と思い返した。

 黒川行政区では原発事故直後、大半の住民が市内外の親族宅に身を寄せるなどして避難したが、緊急時避難準備区域が設定された2011(平成23)年4月下旬ごろまでに戻った住民が多かったという。吉田さんも地元に戻り、建設業に携わって復旧作業に励んだ。「避難し続ける資金的余裕はなかった」と述懐する。

 東京電力による損害賠償を巡っては、福島第1原発から半径20キロと30キロ圏内、それ以外の地域との間で賠償額に差が出た。吉田さんは「どこかで線引きをしないといけないとは思う。ただ道路1本隔てて30キロ圏から外れた住民もいることを考えると、何とも言えない」と複雑な胸の内を明かす。

 市によると、4行政区の住民登録者は8月末現在で計897人で、今も2人が避難を続けている。吉田さんは「元の生活に戻っていないのは、どこも同じだ」と語り、国に継続的な支援を求める。「この辺りは林業や山菜採りで生計を立てる人も少なくなかった。せめて山林の除染だけでもやってほしい」と力を込めた。