「精神的損害」認定が焦点 賠償見直し、対象拡大の方向で検討

 

 文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)が国の賠償基準「中間指針」の見直しを進めているのは、原発事故を巡る集団訴訟で指針を上回る賠償を東電に命じた判決が相次いで確定したためだ。見直しに向けた議論では、住民の避難により「故郷」(生活基盤)が様変わりしたことへの精神的損害を盛り込むなど、賠償対象を拡大する方向で検討されている。

 中間指針は東日本大震災と原発事故が発生した2011(平成23)年8月に原賠審が取りまとめた。同12月、自主的避難に関する損害を追加するなど1度目の見直しとなる「追補」を示し、その後3度にわたり追補の形で改定された。追補は13年12月の第4次が現時点では最後となっている。

 原発事故による避難者らが13年3月、国と東電に損害賠償を求めて一斉に提訴し、17年3月に前橋地裁で国と東電の責任を認める初の判決が出た。22年3月に複数の訴訟で東電の敗訴が確定し、中間指針を上回る賠償が命じられた。

 指針の見直しに当たり、原賠審が話し合う主な論点は▽過酷な避難状況▽故郷の変容▽相当量の放射線量地域に滞在したことによる健康不安▽要介護などの増額事由▽自主的避難―の5項目だ。従来の一貫性や継続性を重視した上で、第5次追補とする形で改定される見通しだ。

 被災者「低い基準の是正、放置された」

 今回の中間指針の見直しは、被害実態と指針の乖離(かいり)を訴え続けてきた被災者らの強い声が原賠審を動かした形だ。しかし、改定が2013(平成25)年12月以来となることに「問題があったにもかかわらず、ずっと放置されてきた」と批判が上がっている。

 双葉郡で今年8月に開かれた原賠審の内田貴会長や委員、強制避難を経験した住民らとの意見交換会。住民の女性は、指針について尋ねた委員に「私たちが不十分だと訴えても、東電側から『国の中間指針はこうなっている』と話がストップされる」と実態を明かし、見直しを強く要望した。

 南相馬市から横浜市に避難し、東電と国に損害賠償を求めて訴訟を争っている村田弘さん(79)は「原賠審は非常に低い賠償基準を維持してきた。被災者から見ると、その基準が放置されたせいで二次被害が生じている」と指摘。「被災者が裁判で認められるため、どれだけ努力してきたか。被害実態を踏まえた基準を示してほしい」と求めた。

 中間指針、司法も「不十分」

 原発事故の避難者らが国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟では、7件の訴えの最高裁決定でいずれも中間指針を上回る賠償額が3月に確定した。これにより政府内にも「中間指針が不十分だと司法が判断した」との認識が広がり、見直し作業の着手につながった。

 同種訴訟は全国で約30件起こされている。中には避難継続による精神的損害や故郷(生活基盤)の喪失、変容に伴う慰謝料などを認めた判決もある。一方、東電は審理中の後続訴訟でも一貫して「中間指針に基づく賠償額で十分」との主張を続けているのが実態だ。

 最高裁判決で1陣の訴訟を終えた福島(生業(なりわい))訴訟の原告・弁護団は、中間指針の見直し内容のうち自主避難者らへの賠償について「確定判決と反する評価をしており、被害の理解を誤っている」と声明で批判し、被害実態に即した賠償額の見直しを訴えている。

 補償8カ月延長の方針

 【自主的避難】指針の見直しで特に注目されるのが、自主避難者らへの精神的損害の賠償をどこまで拡大するかだ。原賠審は避難区域以外の浜通りや県北、県中など県内23市町村に設定した「自主的避難等対象区域」の住民への精神的損害について、賠償の対象期間を約8カ月延長し、2011(平成23)年12月末までとする方針だ。

 賠償の対象期間を巡っては、子ども・妊婦を除いて11年4月22日までの「原発事故当初」としていた。原賠審は各判決を踏まえ、放射線被ばくへの恐怖・不安などを抱いたことには相当の理由があり、自主避難はやむを得ない面があるとの見解を示した。

 その上で、政府が同12月16日に「原発事故の収束」を宣言したことを考慮し、賠償の対象期間を12月末まで延長する方針で一致した。損害額については今後詳細を詰める。

 一方、原賠審は「対象区域」に県南と宮城県丸森町を追加するかどうかも検討したが「東電が子ども・妊婦を対象に、自主的に賠償している」として追加を見送り、現行の枠組みを維持する方針を崩していない。

 古里様変わり、補償検討

 【故郷の変容】故郷(生活基盤)が様変わりしてしまったことへの精神的損害を巡り、居住制限区域と避難指示解除準備区域の住民を対象に認めることが検討されている。旧緊急時避難準備区域の住民も対象となる方向だ。指針の見直しが決まった場合、第4次追補の「避難費用・精神的損害」の項目が大きく変更されることから、全面的な改定が見込まれる。

 居住制限区域と避難指示解除準備区域では、原発事故前に存在していた故郷が様変わりし、帰還を断念したり、決断できずにいたりする人が少なくない。2017(平成29)年4月までに避難指示が解除され、インフラの復旧が着実に進む一方、避難を余儀なくされた住民が原発事故前と同じような生活基盤を再び築くのは容易ではない。

 こうした状況から原賠審は、住民が「変容」した故郷を受け入れざるを得ない被害実態があるため、精神的損害を認定する方針で一致している。損害の目安額については、帰還困難区域の住民に認めた故郷の「喪失」を大きく下回る見込みだ。

 日常生活阻害で加算も 

 【過酷な避難状況】過酷な避難状況による精神的損害を巡っては、原賠審はこれまでの中間指針で「十分に考慮されていなかった」と認め、第5次追補で賠償対象とする方針だ。

 対象は避難区域から区域外への避難を余儀なくされた住民で、日常生活を阻害されたことによる慰謝料への加算を検討している。

 原賠審は、過酷な避難による精神的損害を「放射線に関する情報が不足したまま、着の身着のままの状況で避難を強いられたことによる苦痛や過酷さ」としている。

 賠償の対象期間については、被害者の状況が多岐にわたるとして、明確にするのは困難とみている。このため「原発事故発生当初から相当期間にわたり精神的損害が生じていた」とし、目安額を設定した上で、避難指示が出ていた期間に応じた加算が相当との考えを示した。

 要介護者ら10例増額へ 

 【要介護などの増額事由】通常の避難者と比べて精神的苦痛が大きいとされる要介護状態の人らの精神的損害に関し、原賠審は従来の指針で十分に考慮されていなかったとして、賠償額を増やす方針を固めた。増額の対象は10項目。

  〈1〉要介護状態
  〈2〉身体・精神の障害
  〈3〉要介護者、障害者を介護
  〈4〉乳幼児の世話
  〈5〉妊娠中
  〈6〉重度または中等度の持病
  〈7〉持病がある人の介護
  〈8〉家族の別離、二重生活など
  〈9〉避難所の移動回数が多い
  〈10〉避難生活への適応が困難だった

 〈1〉~〈5〉について原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)での事例を参考にして賠償の目安額を決める。

 〈6〉~〈10〉については、精神的苦痛の大きさが個別具体的な事情に基づく判断とされるため、原賠審は目安額の設定は難しいとの見解を示している。増額分はいずれの項目も、過酷な避難による慰謝料とは別に算定する方針だ。

 線量不安損害認める

 【相当量の放射線量地域に滞在したことによる健康不安】相当量の放射線量地域に滞在したことに伴う健康不安を巡っては、計画的避難区域に住んでいた人に精神的損害を認めることで原賠審が一致した。原発事故後1年間の積算線量が避難指示の基準(年間20ミリシーベルト)に達する恐れがある地域に一定期間滞在し、安心した生活を送れず、利益が侵害されたとの考え方に基づく。