東電強制起訴、有罪立証に二つの壁

 

 刑事責任が問われたのは勝俣元会長のほか、武黒一郎元副社長(76)、武藤栄元副社長(72)。原発の安全対策を怠ったため、震災の津波で福島第1原発事故を招き、避難を強いられた双葉病院(大熊町)の入院患者ら44人を死亡させるなどしたとして2016(平成28)年2月、強制起訴された。

 一審、控訴審を通じて公判の大きな争点は▽国の地震予測「長期評価」の信頼性を認め、巨大津波の襲来を予見できたか▽津波対策を講じれば原発事故を防ぐことができたか―だった。

 主な争点について検察官役の指定弁護士、旧経営陣の弁護側の主張と一審、控訴審判決の概要は【表】の通り。控訴審で指定弁護士は一審に続き〈1〉長期評価には信頼性があり、大津波は予見できた〈2〉原発の運転停止よりも、防潮堤の設置など講じやすい対策を行えば事故は防げた―と主張した。

 指定弁護士は控訴審判決を不服とし上告。刑事裁判で唯一、旧経営陣の責任を問う舞台は最高裁に移る。

原発事故を巡る刑事裁判の主な争点

 「襲来の認識認めず」

 長期評価の扱いと津波の予見可能性について、一審判決で「専門家の間で疑問視する声があり、客観的な信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」と判断された。

 控訴審で指定弁護士は、長期評価は作成目的や経緯などに照らしても信頼性があったと強調。「長期評価に基づく算定結果を認識した旧経営陣3人は、大津波が襲来すると予見できた」と改めて主張した。

 控訴審判決では、長期評価に関し「大津波が襲来するという現実的な可能性を認識させるような情報とは認められない」と指摘した上で、指定弁護士の立証が罪を認めるほどの証明としては「不十分」として主張を退けた。

 「奏功した証明ない」

 対策を取れば事故を防げたかについて、一審判決で「原発の運転を停止するしかなかった」と、事故を回避するための措置を限定して判断された。

 控訴審で指定弁護士は、原発の運転を停止しなくても「防潮堤の設置や水密化措置などの対策を講じれば事故を回避できた」との主張を展開した。

 控訴審判決はこれらの対策について「事後的な情報や知見を前提にしている」とし「事故を防ぐ対策の整備を現実的にできる知見や技術が整っていたという証明はない」と判断。「3人の責任を論じる上で採用できない」と断じた。

 震災で実際に襲来した津波は、東電が想定していた津波と規模や方角などが異なるため「試算結果による対策を講じていたとしても実際に奏功した証明はない」とした。

 集団訴訟、賠償指針変えた

 原発事故による避難者らが国や東京電力に損害賠償などを求めた集団訴訟は、事故から11年11カ月となる今も全国で審理が続く。

 ただ、最高裁が昨年3月に下した判断が大きな転機となった。最高裁は7件の集団訴訟で東電の上告を認めず、東電の賠償責任が確定し、いずれも国の指針を上回る賠償が認められた。

 これがきっかけとなり、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)が慎重姿勢を転換し、国の賠償基準「中間指針」を見直す動きが本格化。昨年12月に第5次追補の形で9年ぶりに指針が見直され、賠償の対象が拡大した。

 一方、最高裁は昨年6月、4件の集団訴訟で国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。同種の後続訴訟は「この判決には誤りがある」として、新たな論点で主張を展開している。

 司法判断を巡っては、東電の株主代表訴訟で東京地裁の裁判長が原発事故訴訟で初めて原発構内の現地視察に踏み切った。東京地裁は昨年7月、旧経営陣4人の賠償責任を認め、計約13兆円の支払いを命じた。国内の裁判の賠償額としては過去最高とみられ、旧経営陣は一審判決が不服として控訴した。

 東電内の議論、明らかにした意義

 原発事故を巡る刑事、民事の両裁判では巨大津波の発生が予見できたかどうかが共通の争点となったが、司法判断は割れている。福島大行政政策学類の高橋有紀准教授(38)=刑法=は刑事裁判について「人に刑を科す以上、損害賠償責任を問う民事裁判よりも立証のハードルは高くなるため、慎重に判断せざるを得ない」と話す。

 民事裁判では一般的に当事者間で「どちらの責任が重いか」などを判断する一方、刑事裁判では推定無罪の原則に基づき「合理的な疑いを挟む余地」がないほどの有罪の立証が必要とされる。東電の旧経営陣に賠償責任を問う民事の株主代表訴訟では長期評価の信頼性を認めて巨大津波の襲来を予見できたと判断した一方、今回の刑事裁判では長期評価の信頼性を否定し、旧経営陣を無罪とした。

 高橋准教授は長期評価の判断の差に「疑問が残る」としつつも「仮に長期評価があったとしても『対策を取らなかったことが犯罪か』というと、またハードルが上がる」と指摘。「仮にできないことを処罰すれば今後さまざまな形で市民生活に跳ね返り、社会が過酷になってしまう」とした上で「本当に対策ができたのか、厳しく問わざるを得ない」との見解を示した。

 一審、控訴審で旧経営陣の刑事責任は認められなかったが、高橋准教授は「社会的に関心のある事件を法廷で扱ったことで、津波対策を巡る東電内の議論や経緯が明らかになった」と意義を語った。