浪江に誇り...本社残した 半谷さん「人口増え雇用の受け皿に」

 
従業員と対話しながら商品の仕上がりを確認する半谷さん(左)。「やはり浪江は特別」と思いを新たにする

 東京電力福島第1原発事故による避難指示が富岡町と浪江町、川俣町山木屋地区、飯舘村の帰還困難区域を除く地域で解除されてから6年が過ぎた。長期避難で地域から失われた活気をどうやって取り戻していくか。関係者は復興に懸ける思いを胸に、さまざまな分野でなりわいの再建を目指して汗を流し続けている。

 半谷正彦さん 44

 浪江町の縫製業「キャニオンワークス」は2017年に町の避難指示が解除されて間もなく、町内の本社工場で操業を再開した。原発事故で避難を余儀なくされ、14年にいわき市の工業団地で事業を再建していたが、本社は浪江から移さなかった。社長の半谷正彦さん(44)は「やはり浪江は特別だった」と当時の決断を振り返る。

 原発事故で自身も避難する中、技能実習生には知り合いの群馬県の工場に身を寄せてもらった。そのお礼に訪ねた際、近くに空き工場があると聞いて仕事を再開した。だが、半谷さんは「いつかは帰る」と心に決め、古里に近いいわきへの帰還を果たす。現在は確かな縫製の技術を生かし、アウトドア用品からウエットスーツなど幅広い製品を手がけている。

 町長を務めていた故馬場有さんから「本社は残してくれないか」と会社に依頼があったという。その思いに触れたことに加え、半谷さんは「浪江に来ると落ち着く。自分としても本社を移すつもりはなかった」と古里への思いを語る。浪江工場では、いわきの工場を補完する手作業が必要な工程などに取り組んでいる。

 「福島国際研究教育機構の誘致などをきっかけに、町の人口が増えれば雇用の受け皿になれると思う」。新たな住民が安心し、気持ちが落ち着く働き先として。