【検証・特定避難勧奨地点】地域に溝 忘れたい 「心の距離が...」

 

 【伊達・下小国】「もう忘れたい。早く風化してもらった方がよっぽどありがたいよ」。

 伊達市霊山町下小国地区の70代男性は缶コーヒーを一口飲むと、言葉を選ぶようにとつとつと語り始めた。特定避難勧奨地点の指定の有無は国からの賠償の有無につながり、その違いが地域コミュニティーの分断をもたらした。男性は今もその思いを拭えないでいる。

 男性は震災が起きる約1年前、会社の退職を機に下小国地区の実家に戻った。「セカンドライフは農業」と決めていた男性は退職する数年前から、週末になると決まって帰省して農業の経験を積み準備を進めていた。描いていた青写真通りの生活を1年間ほど送り充実感を覚えたころ、原発事故が起きた。

 避難覚悟していたが 

 伊達市の各世帯で線量の測定が始まり、庭と玄関先の地表から50センチと1メートルの高さの線量(空間放射線量)が計測された。国はその結果を基に、放射線の影響を受けやすいとされる子どもや妊婦のいる世帯など個別事情を考慮した上で特定避難勧奨地点を指定した。

 「一部では4とか5あったんだ」。男性が口にした数字は1時間当たりの線量(単位はマイクロシーベルト)を指す。毎時3マイクロシーベルト以上だと年間20ミリシーベルトを超える可能性が高く、特定避難勧奨地点の指定に向けた調査対象となった。「避難を考えないといけないな」。男性は自宅の数値を見て覚悟を決めていた。

 しかし、男性の自宅が指定されることはなかった。当時の小国地区には427世帯あり、下小国では当初、54世帯(後に4世帯が追加)が特定避難勧奨地点に指定された。

 「心の距離が離れることになった」と男性が言うように地域の分断はその日を境に目に見えて表れた。「こっちは一生懸命畑を耕す。生活しないといけないからね。でも(指定された農家が)畑の手入れをしないでいる。(その農家から)固定資産税はかからないって言われたら、やっぱり腹が立ちますよ」

 住民同士わだかまり 

 指定された場合、避難の有無にかかわらず月額10万円の慰謝料が支払われた。さらに高速道路の無料化措置、税金の免除などの支援を受けた。同じ集落で格差が生じれば、住民同士にわだかまりが生まれるのは当然なことだった。

 「会っても余計なことは言わないようになる。だんだん会話が減り、結果的に疎遠になった」と男性。「最初から分かりきったことだったはずだ。なぜ(国は)地域ではなく、地点での避難を選択したのか」。男性は特定避難勧奨地点という制度に納得できないでいる。

 伊達市の特定避難勧奨地点の解除から8年を迎える。分断されたコミュニティーは回復できたのだろうか。

 「表面上は」と男性は言い、こう続けた。「表向きはみんな平常だけど腹の中ではそうじゃない。何かあれば再燃する。だからこのことはもう話したくないんだ」
 
 特定避難勧奨地点について耳にする機会が減った今、男性はこうも思っている。「(特定避難勧奨地点を)忘れてほしい。俺もこの問題から離れたい」。男性の言葉に、今も続く苦悩がにじんだ。